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礼拝用語Ps42

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詩42篇「渇く」 עָרַג アーラグ  צָמֵא ツァーメー 

〔カテゴリー渇望〕

1節「鹿が谷川の流れを慕いあえぐ(עָרַג)ように、私のたましいはあなたを慕いあえぎます。」
2節「私のたましいは、神を、生ける神を求めて渇いています。(צָמֵא)」

Keyword; 「慕いあえぐ」(עָרַג 42:1, pant) / 「渇く」(צָמֵא 42:2/63:1 thirsty, thirst)

  • 詩42篇には多くの礼拝用語が登場していますが、その中でも渇望を表わす動詞「慕いあえぐ」「渇く」という二つのことばが詩篇ではじめて登場します。「慕いあえぐ」と訳された「アーラグ」(עָרַג)も、「渇く」と訳された「ツァーメー」(צָמֵא)も、単に喉が渇くだけでなく、たましいの強烈な渇き、切羽詰まった渇きを意味することばです。前者は旧約で3回、そのうち2回が詩篇。後者は旧約で10回、詩篇では2回用いられています。
  • 喉の「渇き」もさることながら、たましい(ネフェシュ)の渇きは人間のニーズの中でも最も根源的なものであり、切実です。「渇き」はどうしても満たされなければなりません。すべての人はこの「渇き」を満たすべく生きていると言っても過言ではありません。
  • 詩42篇の作者には、かつてエルサレムで経験した生ける神との一体感への希求があります。その一体感を再び味わいたいとの強い希求があります。しかし現実にはそれがかなわぬことで、なおいっそう、その渇きが増幅されているのです。
  • イエスは「大いなる祭りー仮庵の祭りーの終わりの日に、立って、大声で言われました。『だれでも渇いているなら、わたしのもとに来なさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる』」(ヨハネ7:38)。このイエスの叫びは、どんな大きな祭りに参加したとしても、なお満たされない心があることを見抜いた上での招きでした。
  • イエス・キリストは「義に飢え渇いている者は幸いです。その人は満ち足りるからです。」(マタイ5:6) 「義」とは神とのかかわりを意味する関係概念です。神のすべての祝福の原則は、義、すなわち神との親しいかかわりに飢え渇いている者にのみ注がれるということです。ヨハネの福音書でも「渇き」は大切なキーワードです。真実の愛に渇いていたサマリヤの女はその良い例です。彼女は自分の心の渇きに気づかずに、男性を求めていた女性でした。しかし、イエスとの出会いによって自分の渇きに気づかされ、渇くことのないいのちの水を与えてくださる方に出会ったのです。私たちもこの方とかかわることなしには、たましいの渇きをいやすことはできません。
  • 「ツァーメー」(צָמֵא)の類義語としては、「シャーカク」(שָׁקַק)があります。「飢える、渇きがとまらない、渇く、飢え渇く」を意味します。107:9:/143:6参照。

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