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礼拝用語Ps50

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詩50篇「ささげる 」זָבַח ザーヴァハ

〔カテゴリー賛美・感謝〕

14節「感謝のいけにえを神にささげよ。あなたの誓いをいと高き方に果たせ。」
23節「感謝のいけにえをささげる人は、わたしをあがめよう。」

Keyword; 「ささげる」 offer, sacrifice, 4:5/27:6/50:14, 23/54:6/107:22/116:17

  • 「ささげる」と訳されたザーヴァハ(זָבַח)は、神へのささげものとして「奉納する、供える」ことを意味します。旧約においては、神へのいけにえをささげることなしに神に近づくことはできませんでした。そのために、神は礼拝における五つのいけにえの規定を定められました。
  • モーセの幕屋においては、強制的ないけにえとして、「罪過のいけにえ」「罪のいけにえ」をささげることで神に近づくことができます。他に、自発的なささげものとして、「和解のいけにえ」「穀物のささげもの」「全焼のいけにえ」があります。
  • ダビデの幕屋では、動物のいけにえに代わって、「義のいけにえ」「喜びのいけにえ」「感謝のいけにえ」「従順のいけにえ」「砕かれた悔いた心のいけにえ」という精神的・霊的ないけにえが重視されたました。詩篇では後者のいけにえが目立ちます。
  • 詩50篇では、神がご自分の民を全地から呼び寄せ、天の法廷で訴えています。それは「感謝のいけにえを神にささげよ」というものです。詩篇においては、しばしば「感謝と賛美を携え、主の御前に来たれ」と呼びかけていますが、神の尽きることのない恵み、変わることのない神の愛に対して、私たちが最初にしなければならないことは感謝することです。礼拝することも、賛美することも、献金することも、神と人とに奉仕することも、さまざまな訓練を受けることも、すべては「感謝のわざの現われ」と言えるからです。
  • 私たちは往々にして「のど元過ぎれば熱さ忘れる」で、苦しい時に神の助けを受けた恩も、楽になれば忘れてしまうのが常です。なんと身勝手かと思ってしまいます。イエス・キリストがある村で、ツァラートで悩む10人の者に出会ったとき、彼らは声を張り上げて「イエスさま、どうぞあわれんでください」と嘆願しました(ルカの福音書17章11~19節)。 彼らは祭司に自分を見せるように言われて、そこに行く途中で全員癒されました。ところが、自分がいやされたことが分かって、引き返してイエスの足もとにひれ伏して感謝した人はなんとたった一人でした。しかもその人はサマリヤ人。このことを考えても、感謝することが決して容易ではないことが分かります。それは人事ではなく、自分自身にも言い聞かせなければならないことです。
  • それゆえに23節の「感謝のいけにえをささげる人は、わたしをあがめよう」という勧告はとても重要です。「あがめる」と訳されたヘブル語は「カーヴァド」(כָּבַד)の強意形ピエル態で、「敬う」「栄光に輝かす」という意味になります。「カーヴァド」は、本来「重い」という意味です。つまり、重い事柄、重要な事柄を表わすことを意味します。「感謝のいけにえ」をささげることは、決して軽い事柄ではなく、神にとってはとても重い事柄なのだということを知ることが大切なのです。


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