****** 教会は、ヘブル的ルーツとつぎ合わされることで回復し、完成します。******

礼拝用語Ps52

Ⅱ/A(42~72篇) | テキストPs52 | 原典テキストPs52 | 瞑想Ps52/A | 瞑想Ps52/B | 恩寵用語Ps52 | Ps52の「かかわりの構造」 |

詩52篇「拠り頼む」בָּטַח バータハ

〔カテゴリー信頼〕

7節「・・神を力とせず、おのれの豊かな富にたより、・・・
8節「しかし、この私は、・・世々限りなく、神の恵みに拠り頼む。」

Keyword; 「拠り頼む」 trust

  • すでに詩21篇において、「信頼します」ということばで「バータハ」(בָּטַח )を取り上げましたが、詩52篇でも取り上げたいと思います。ここでは、「神を力とせず、おのれの豊かな富に拠り頼む者」と「神の恵みに拠り頼む者」とが対象的に記されています。人には何を頼みとして生きているのか、それが明白になるときが必ず来ます。
  • ヘブル語には神の愛を表す言葉(名詞)として「ヘセド」(חֶסֶד)と「アハヴァー」(אַהֲבָה )があります。ヘセドはイスラエルへの神の契約の愛を意味し、アハヴァーはイスラエルへの神の選びの愛を表します。前者の「ヘセド」(חֶסֶד)は、詩篇では「恵み」(新改訳)、「慈しみ」(新共同訳)、「慈しみ」(口語訳)と訳され、英語ではloving-kindness, mercy, steadfast love, constant loveとも訳されます。それは、神の確かな愛であり、不動、堅固、不変、執拗さを含んだ愛です。ちなみに、一方の「アハヴァー」(אַהֲבָה )は、神のイスラエルに対する無条件的な愛を意味しています。
  • この詩52篇はダビデの生涯において最も孤独と弱さを感じた時ではないかと思います。アヒメレクに対しても自分の生存と保障のために「嘘」を言わなければならないほど、自分のみじめな姿をさらけ出しています。だれも共感する者もなく、人生の落ち目にあるダビデ。しかし、そうした状況の中でダビデが「神の恵みはいつもあるのだ」(1節後半)、「私は、世々限りなく、神の恵みに拠り頼む」(8節後半)と告白した姿に感動を覚えます。
  • 興味深いことに、1節「なぜ、おまえは悪を誇るのか。勇士よ。神の恵みはいつもあるのだ」を、関根訳では「強き者よ。何故君は悪を誇るのか。神の聖徒に向かって、何故いつも」と訳されています。「神の恵み」が「神の聖徒」となっていますが、「聖徒」とは「ハーシード」(חָסִיד(chasid)、つまり神の恵みに生きる敬虔な者という意味です。なぜか神の恵みに生きる聖徒たちの周りには、彼らを脅かす者たちが存在するのが世の常のようです。そのような中で、徹底した神の「恵み」である「ヘセド」(חֶסֶד)―loving-kindnessーそれは神がgoodnessであるがゆえに注がれる神の不変の愛―に、「いつも」(all the day)、「たえず」(continually)、「どんなときにも」(all the time)注がれていることを信じて、それに「拠り頼む」(בָטַח)ことはすばらしいことです。また「神の恵みに拠り頼む」(新改訳8節)ことは、「神の家にとどまる」(新共同訳10節)ことと同義です。
  • 人を変えていく力は神の恵み(חֶסֶד)です。律法やがんばりの世界ではなく、変わることのない神の一方的な愛に基づく守りと祝福である「恵み」を、信じ、感謝して、そのことを人に語り、あかしして行きたいと思わされます。

powered by Quick Homepage Maker 5.2
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional