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礼拝用語Ps55

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詩55篇(1)「うめく」 שִׂיחַ スィーアッハ

〔カテゴリー渇望〕

17節「夕、朝、真昼、私は嘆き、うめく。すると、主は私の声を聞いてくださる。」

Keyword; 「呻く」 in distress, mock, muse, 他に、 meditate, consider
55:17/69:12/77:3, 6, 12/105:2/119:15, 23, 27, 48, 78, 148/143:5/145:5

  • 「うめく(呻く)」と訳された「スィーアッハ」(שִׂיחַは、「ザーハル」(זָכַר)、「ハーシャヴ」(חָשׁב)、「ハーガー」(הָגָה)などと共に詩篇における瞑想用語の一つです。
  • 「スィーアッハ」size(20){שִׂיחַ};は本来、「思いを潜めて、自分と語り合い、静かに考える、神を深く思う」という意味だけでなく、「問う、嘆き、うめく」という意味があるのです。
  • 「うめく」は、祈りの中でも「最も雄弁な祈り」として神に届き、神を動かす祈りです。たとえば、預言者サムエルを産んだ母ハンナがそうです。彼女は心の苦悩を主の前に注ぎ出しました。その悩みは余りにも切実で、言葉にならず、うめきでした。しかしこのハンナのうめきの祈りが預言者サムエルを生み出したのです。サムエル第一、1章参照。
  • 詩55篇の作者(ダビデ)は、「夕、朝、真昼、私は嘆き、うめく」と言っています。「夕、朝、真昼」とは一日中という意味です。押しつぶされるような状況の中で(おそらく、アブシャロムのクーデターによる都落ちの出来事)、ダビデは嘆き、うめくことしかできませんでした。あまりの辛さに、「ああ、私に鳩の翼があったなら、そうしたら飛び去って休むものを、ああ、私は遠くの方へのがれ去り、荒野の中に宿りたい。あらしとはやてを避けて、私の逃れ場に急ぎたい。」(6~8節)との現実逃避の希求もみられるほどです。
  • 私たちもしばしば、あまりの辛さに、神を賛美することも、神に祈ることもできない。いっそ、神からも離れてしまいたいと思うような時があります。しかし、この詩篇に教訓(マスキール)があるとすれば、それは「たとえ、呻くことしかできなくても、神はその呻きを聞いて下さる方だということ」です。
  • ローマ人への手紙8章で使徒パウロは次のようなことを書いています。
  • 「御霊も同じようにして、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、どのように祈ったらよいのかわからないのですが、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます。人間の心を探り窮める方は、御霊の思いが何かをよく知っておられます。なぜなら、御霊は、神のみこころに従って、聖徒のためにとりなしをしてくださるからです。」(26~27節)と述べています。
  • 使徒パウロはかつて厳格なパリサイ人であり、すばらしい祈りをすることのできる人でした。また、日々怠ることなく祈っていた人です。そのパウロが「私たちは、どのように祈ったらよいのかわからないのです」と言っているのです。しかし、御霊のとりなしにより、結果として、「神がすべてのことを働かせて益として下さること」を経験したのです。私たちの内におられる御霊自身がうめきをもって私たちのために祈っておられることを感謝したいと思います。

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