礼拝用語Ps56
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詩56篇「(誓いを)果たす」 שָׁלֵם シャーレム
〔カテゴリー誓約〕
12節「神よ。あなたへの誓いは、私の上にあります。」(新改訳)
12節「神よ。わたしがあなたに立てた誓いは果たさなければなりません。」(口語訳)
12節「神よ、あなたに誓ったとおり、感謝の献げ物をささげます。」(新共同訳)
12節「神様。私が立てた誓いは果たします。」(尾山訳)
Keyword;「果たす」 complete, perfect, fulfill, perform a vow,
- この12節の訳を見ると実に多様です。その原因は12節の前半の原文は、「私の上に、神よ、あなたへの誓い」となっていて動詞がありません。後半にシャーレーム(שָׁלֵם)という一つの動詞があるだけです。ヘブル詩の特徴はパラレリズムですから、この場合では、前半の部分を後の部分で説明する形を取っています。「(感謝のささげ物を)ささげる」と訳されたシャーレーム(שָׁלֵם)は、「終わる、完成する、平安を得る、ささげる、果たす、満たす」という意味です。「誓いが私の上に」(新改訳)「誓いはわれをまとい」(文語訳)と訳されていますが、口語訳、尾山訳では、前節の「誓い」を「終る、完成する、果たす」という意味で、「神様、私が立てた誓いは果たします。」と訳しています。
- いずれにしても、誓いを果たすということは神に対する礼拝者としての大切な資質の一つです。なぜなら、誓いは自発的なものだからです。結婚式を挙げる新郎新婦は、公の場において、神と人との前で誓い合いますが、その誓いはお二人の生涯をとおして、健やかなる時も、病める時も、果たしていくという強い意志が伴わなければなりません。
- 詩56篇の作者は、絶えず自分を踏みつける者が多くいたとしても、自分がかつて神に立てた誓いーその内実は「感謝のいけにえをささげるという誓い」―を必ず果たすべきことを忘れることはありませんでした。その誓いがいつも彼の上にあり、彼をおおっていたと言えます。
- 詩篇の中には、他にも「誓いを果たすこと」を重んじる箇所がいくつかあります。
- 詩15篇4節「・・損になっても立てた誓いは変えない。」
- 詩132篇2節「彼(ダビデ)は主に誓い(שָׁבַע)、ヤコブの全能者に誓いを立てました。・・全能者のために御住まいを見いだすまでは。」
詩50篇14節「あなたの誓いをいと高き方に果たせ(שָׁלֵם)」
詩61篇 8節 「こうして、・・私の誓いを日ごとに果たしましょう。」
詩66篇13節 「私は全焼のいけにえを携えて、・・行き、私の誓いを果たしましょう。」
詩76篇11節「あなた方の神、主に、誓いを立て、それを果たせ。」
詩114篇14, 18節「私は自分の誓いを主に果たそう。ああ、御民すべてのいるところで。」