礼拝用語Ps59
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詩59篇「見守る」 שָׁמַר シャーマル
〔カテゴリー待望〕
9節「私の力、あなたを私は見守ります。神は私のとりでです。」(新改訳)
Keyword; 「見守る、見張って待つ」 wait, watch,
- シャーマル(שָׁמַר)は「愛する、うかがう、警戒する、守る、見張る、目を注ぐ、目をつける、目をとめる、気づく、心を留める、用心する、注意する、心を寄せる」といった多様な意味を持つことばのようです。
- シャーマル(שָׁמַר)は、本来、神が人を見守る、守るという防衛用語であり恩寵用語です。聖書では神が人を守る(守られる)ということが圧倒的です。たとえば、「見よ。イスラエルを守る方は、まどろむこともなく、眠ることもない。」というみことばのある詩篇121篇に登場する「守る」(7回)ということばは、すべて神が人を守るという意味のシャーマル(שָׁמַר)です。人が神を守るということはあり得ないことで、守るとすれば、その対象は神のみことば、神の道、神の律法です。
- 詩59篇9節ではシャーマル(שָׁמַר)を、人が神を「見守ります」(新改訳)と訳しています。新共同訳では「見張って待ちます」、関根訳では「待ち望む」、岩波訳では「待ち焦がれる」とも訳されています。特別な注意を払って見張っていることをイメージさせます。ところが、口語訳ではこのことばが、不思議なことに「ほめ歌います」と訳しています。LB訳でも神を「賛美します」となっています。ちなみに、59篇16節では「この私は、あなたの力を歌います(שִׂיר)。」となっており、17節でも「私の力、あなたに、私はほめ歌います(זָמַר)。」とあり、9節で「ほめ歌います」と訳された思想が強調されていると解釈しているのかもしれません。英語訳を見るとשָׁמַר をI will wait, I will watch, と訳すものと、I make melody, I will sing praisesと訳すものとに分かれています。
- この二つをどのように受けとめるべきでしょうか。詩篇58篇と59篇には共通したテーマがあります。そのテーマとは悪の問題に対して、やがて必ず神の正義と公正によって正しいさばきがなされるということです。たとい、人間の悪がどのように暴虐に満ちたものであろうとも、神のさばきがだれの目にも明らかになる時が必ず来るーその確信に基づいて、作者は「私の力、あなたを私は、見守ります。(あなたを見張って待ちます、待ち焦がれる)」と告白していると言えますし、その注視の積極的に行為として神の勝利を信じて神を賛美することは十分に妥当なことであろうと考えます。
- 悪の問題に対して、自分から復讐したりすることなく、正しくさばかれる神にゆだね、敵の敗北を見せてくださる神を見守り、神を賛美することによって、神に逆らう者たちは自滅し、神の勝利がもたらされるということを、この詩篇の作者は私たちに訴えています。
- シャーマル(שָׁמַר)の類義語として、ハーザー(חָזָה) (詩11篇の「仰ぎ見ます」を参照)、他にもナーサー(נָשָׂא)、ナーヴァト(נָבַט)があります。