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礼拝用語Ps62

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詩62篇「黙って待ち望む」דָּמַם ダーマム דּוּמִיָּה ドゥーミッヤー

〔カテゴリー待望〕

5節「私のたましいは黙って、ただ神を待ち望む。私の望みは神から来るからだ」(新改訳)
5節「わたしの魂よ、沈黙して、ただ神に向かえ。」(新共同訳)
5節 Finds rest O my soul, in God alone; (NIV)

Keyword; 「沈黙して待つ」 silent,  4:4/30:12/31:17/35:15/37:7/62:5/131:2

  • 「黙って、待ち望む」と訳された「ダーマム」(דָּמַם)。原文は自分の魂に向って「沈黙せよ」という命令形になっています。動詞はありません。to be silent, keep quiet, be still, be motionless,
  • ちなみに、1節でも同じように訳されていますが、そこでは名詞「ドゥーミッヤー」(דּוּמִיָּה)が使われています。「静まり」「沈黙」「期待」「静かな待望」とも訳されることばで、詩篇にのみ4回―silent(22:2), still(39:2), rest(62:1), awaits(65:1※)―使われている語彙です。
    ※「期待して静かに待つこと」 ちなみに、62篇1節の原文は、順に「ただ、に向かって、神に、沈黙、私の魂は」となっています。
  • 沈黙するとは、単に、何も言わず黙しているということでなく、My soul finds rest in God alone.とあるように、信仰によって、ただ神の内にのみ「休息(安息)を見出す」という積極的な意味合いがあります。休息(安息)を見出すことは、神への信頼のあかしと言えます。どんな状況においても、あわてることなく、神にすべてをゆだねて、神を信頼し、神を待ち望んでいます。なぜなら、私の救いーすべての必要、守り、助け、導きなどーは、すべて神から来ると信じているからです。
  • 私たちの現実は黙っていることなど到底できない状況がいくらでも襲ってきます。預言者イザヤは、動乱の時代に静けさを説いた預言者でした。
    「神である主、イスラエルの聖なる方は、こう仰せられる。『立ち返って静かにすれば、あなたがたは救われ、落ち着いて、信頼すれば、あなたがたは力を得る。』」(30:15)
  • 預言者エレミヤもハビロンの捕囚となった神の民に呼びかけました。
    「主はいつくしみ深い。・・主の救いを黙って待つのは良い。人が、若い時に、くびきを負うのは良い。それを負わされたなら、ひとり黙ってすわっているがよい。・・口をちりにつけよ。・・主は、人の子らを、ただ苦しめ悩まそうとは、思っておられない。」(哀歌 3章25~29節)
  • 「主がいくつしみ深い(良い方)」であることを知ることと沈黙すること、そして希望を持つことはみな密接な関係にあります。
  • 沈黙と静まりこそ、御父のみこころに従う御子イエスの内なる自由が培われた場でした。私たちも、神に愛された者として生きるためには、活動的な働きから退く「静まりの時」が必要です。なぜなら、その静まりの時こそ神との信頼の絆が深められる時だからです。
  • 換言するならば、静まりは神の臨在の意識を回復する営みと言えます。神が私に語りかけておられるという感覚が研ぎ澄まされ、敏感になりながらも、たましいは、神にゆだねる心で休息している。「私のたましいは黙って、ただ神を待ち望む」―その模範はイエス・キリストです。沈黙と静まりを通して、私たち自身が神に向けられるようになります。そして、開かれた神のことばの理解がより深められる経験をするのです。

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