****** 教会は、ヘブル的ルーツとつぎ合わされることで回復し、完成します。******

礼拝用語Ps63

詩63篇(1)「切に求める」שָׁחַר シャーハル

〔カテゴリー渇望〕

1節「神よ。あなたは私の神。私はあなたを切に求めます。」(新改訳)

Keyword; 「切に求める」 earnestly seek, search for, long for, look for, seek

  • 詩63篇は礼拝用語の宝庫です。全11節に17個の礼拝用語を見つけることができます。
    ① 1節「切に求めます」 שָׁחַר(shachar) 63:1/78:34
    ② 1節「渇きます」     צָמֵא(tsame’ ) 42:2/63:1
    ③ 1節「慕います」 כָּמַהּ(kamah) 63:1 (この箇所のみ)
    ④ 2節「見ています」 רָאָה(ra’ah) 34:8
    ⑤ 2節「仰ぎ見ます」 חָזָה(chazah) 11:7/17:15/27:4
    ⑥ 3節「賛美します」 שָׁבַח(shabach) 63:3/106/47/145:4/147:12
    ⑦ 4節「ほめたたえます」 בָּרַךּ(barak) 5:12/10:3/16:7/26:12/28:6, 9/31:21
    ⑧ 4節「(手を)上げて(祈ります)」נָשָׂא(nasa’) 28:2//134:2
    ⑨ 5節「満ち足ります」 שָׂבַע(sava`) 17:14/22:26/37:9/59:15/65:4/78:29
    ⑩ 5節「賛美します」 הָלַל(halal) 22:22, 23, 26/35:18/56:4, 10/69:30, 34
    ⑪ 6節「思い出します」 זָכַר(zakhar) 9:12/20:3/22:27/25:6, 7/42:4, 6/77:3,6,11
    ⑫ 6節「思います」 הָגָה(hagah) 1:2/77:12/143:5
    ⑬ 7節「喜び歌います」 רָנַן(ranan)5:11/20:5/32:11/33:1/35:27/51:14/59:16
  • ⑭ 8節「すがります」 דָּבַק(davaq) (神との直接的なかかわりとしてはここのみ)
    ⑮11節「喜びます」 שָׂמַח(samach)5:11/9:2/14:7/16:9/21:1/31:7/32:11/
    ⑯11節「誓います」 שָׁבַע(shava) 15:4/119:106/132:2―שָׂבַע(saba)との違い
    ⑰11節「誇ります」 הָלַל(halal) 64:10/97:7/105:3/106:5/
  • これらの多くはすでに詩篇第一巻(1~41篇)で取り上げたものばかりです。そこになかった新しい礼拝用語は三つです。まずは「切に求めます」と訳されたシャーハルשָׁחַר(shachar)、次に「慕います」のカーマーכָּמַהּ(kamah)、そして「すがります」のダーヴァクדָּבַק(davaq)です。今回は「切に求めます」と訳されたシャーハルשָׁחַר(shachar)にのみ注目したいと思います。
  • シャーハルשָׁחַר(shachar)は「真面目に、熱心に、本気で神を求める(捜し求める)こと」を意味します。旧約聖書では13回使われていますが、そのうち、2回が詩篇にあります。詩63篇1節と、そしてもう一回は詩78篇34節です。箴言8章17節には「わたしを愛する者を、わたしは愛する。わたしを熱心に捜す(שָׁחַר)者は、わたしを見つける。」とあります。心を尽くし、精神を尽くして、切に主を求めること、それは命がけでもあります。神も失われた羊を捜し出して、これの世話をされる方です(エゼキエル34:11)。それはまさに神の命がけのサーチでした。そのサーチによって私たちは神に見出されたのです。

詩63篇(2)「すがる」דָּבַק ダーヴァク

〔カテゴリー: 信頼〕

  • 8節「私のたましいは、あなたにすがり、あなたの右の手は、私をささえてくださいます。」
    (新改訳)
  • 8節「わか魂はあなたの後においすがり、まことにあなたの右の手はわたしを支える。」
    (関根訳)

Keyword; 「すがる、すがりつく、おいすがる」 cling, hold fast,
22:15/44:25/63:8/101:3/102:5/119:25, 31/137:6

◆「すがる」「すがりつく」と訳されているダーヴァクדָּבַק(davaq)という動詞は、普通、あまり良い意味で使われません。というのも、「くっついて離れない、執着する、固執する」というイメージがあるからかもしれません。しかし、神に「すがる」ということは神を喜ばせます。なぜなら、どんな状況に陥っても神を決して離すまいとする心、あるいは、決して望みを捨てないという心だからです。LB訳では「すがる」ことを「神様のふところに飛び込む」と意訳しています。なかなか味わい深い表現です。

◆神にすがる者、すがりつく者は、新約的に言うならば「貧しい者」のことです。イエスは「貧しい者は幸いです。神の国はあなたがたの者です。」(ルカ6章20節)と約束されました。主の弟子とは「貧しい者」のことであり、「小さき者」「弱き者」と同義なのです。つまり、神なしには生きられないことを知っている者たちであり、神の愛と支えと導きなしには輝く望みなどないと知っている者たちなのです。

◆旧約聖書の中に「すがりつく」恵みを体験したひとりの女性がいます。その女性の名はダビデの曾祖母ルツです。ルツは異邦人(モアブ人)でしたが、姑ナオミにすがりつきました(ルツ記1章14節参照)。ルツは姑のナオミにすがりつくことで、ナオミの信じている神にすがりついたのです。神は、このルツをしっかりと支えられました。そして、はからずも、ボアズと出会い、結婚し、ダビデにつながる子孫をもたらしました。そしてやがてはその子孫からメシアが生まれるという神のご計画に預かったのでした。

◆ダビデも荒野経験において神にすがりついています。ダビデの系譜はまさに「神にすがりつく系譜」と言えます。ダビデにとって、荒野での予期せぬ出来事は、神への思いを募らせ、そのかかわりを深める契機ともなりましたが、その強烈さに圧倒されます。ここに、ダビデがいかに模範的な礼拝者であったかを伺わせます。

◆ダビデは、8節で「私のたましいは、あなたにすがり」ということばで、その前にあるすべての<礼拝用語>を統括し、それに対して「あなたの右の手は、私をささえてくださいます。」というたったひとつの<恩寵用語>によってその祝福の確信を要約しています。「あなたの右の手は、私をささえてくださる」を、尾山訳では「あなたは私をしっかり抱きしめてくださいます」と訳しています。まさにこの「抱っこ法」は神の養育方法です。

◆このように、神とのかかわりにおいてダーヴァクדָּבַק(davaq)が用いられているのは、詩篇ではここ詩63篇8節のみです。とても価値のある、重要な動詞と言えます。


powered by Quick Homepage Maker 5.2
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional