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礼拝用語Ps65

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詩65篇「喜び叫ぶ」 רוּעַ ルーア

〔カテゴリー賛美〕

13節b「(牧草地は・・、もろもろの谷は・・)、まことに喜び叫び、歌っています。」(新改訳)
13節b「彼らは喜び呼ばわって」(口語訳)
13節b「喜びの叫びをあげています。」(新共同訳)

Keyword; 「喜び叫ぶ、喜び叫ぶ」shout, shout aloud, shout for joy, shout in triumph 47:1/60:8/65:13/66:1/81:1/95:1, 2/98:4, 6/100:1

  • 8節のラーナン(רָנַן)は「声高らかに、喜びをもって歌う」ことに強調点があるのに対し、13節後半のルーア(רוּעַ)は「喜びを伴った叫び(shout)、大声で叫ぶ」ことに強調点があります。66篇1節の「全地よ。神に向って喜び叫べ」という呼びかけは、ルーア(רוּעַ)です。
  • 詩81篇1節では「われらの力であられる神に喜び歌え(רָנַן)。ヤコブの神に喜び叫べ(רוּעַ)。」とあり、רָנַןרוּעַとが同義的な語彙であることがわかります。このように、ラーナン(רָנַן)とルーア(רוּעַ)が、ワンセットで使われている例としては、他に95:1、98:4, 6と100:1があります。
    「さあ、主に向かって、喜び歌おう(רָנַן)。われらの救いの岩に向かって、喜び叫ぼう(רוּעַ)。」(詩95篇1節)
  • このように二つの同義的な語彙を重ねることによって、「喜び」が重要視されているのです。私たちは主を賛美することにおいては、この「喜び」が前面に来なければなりません。
  • 主に愛されている喜び、天に名が書き記されていることの喜び、主の御翼の陰に守られていることの喜び、主とともに苦しみを共有できる喜び、主が十字架の死と復活を通して私を救ってくださった喜び、そして今も主が私のうちに、私とともに、私のために働いていてくださる喜びーその喜びを「歌い」、そして「叫ぶ」よう呼びかけられているのです。
  • いかにしてそれを実現し得るでしょうか。それを実現に至らせた唯一のモデルはダビデです。ダビデの賛美への意欲をもっともっと学びたいものです。
  • また、ダビデが経験したように「良いものーthe riches―で満ち足りる」喜びを味わいたいものです。ちなみに、11節ではその「良いもの」が「あぶらがしたたる」と表現されています。「あぶら」とは、最良のものを意味します。食べ物にしても脂身の部分は最も美味しい部分です。「あなたの通られた跡には、あぶらがしたたり、・(それゆえ)もろもろの丘も喜びをまとっています。・・人々は喜び叫んでいます。」とあります(11~13節)。
  • 新約にも良いもので満ち足りる喜びを経験した人がいます。使徒パウロがその人です。彼は「喜びの手紙」と呼ばれるピリピ人への手紙の中で、「私は、どんな境遇にもあっても満ち足りることを学びました。」と言っています。どんな環境の中にも、どんな境遇においても、そこでしか得ることのできない、神が備えられた良いものがあることを信じ、彼は満ち足りることを学び喜ぶことができた人です。この「喜び」が奪われませんように。

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