****** 教会は、ヘブル的ルーツとつぎ合わされることで回復し、完成します。******

礼拝用語Ps71

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詩71篇(1)「依りすがる」 סָמַךְ サーマク

〔カテゴリー信頼〕

  • 6節「私は生まれたときから、あなたにいだかれています。」(新改訳)
  • 6節「わたしは生れるときからあなたに寄り頼みました。」(口語訳)
  • 6節「母の胎にあるときから、あなたに依りすがって来ました。」(新共同訳)

Keyword; 「依りすがる」 rely,  sustain, uphold, support,
3:5/37:17, 24/51:12/54:4/71:6/112:8/119:116/145:14

  • 新改訳で「いだかれています」と訳されたサーマクסָמַךְ(samakh)は、本来、「ささえる、助ける、守る」といった恩寵用語ですが、その受動態では「身を寄せる、よりかかる、寄り頼む、頼る」となります。主がしっかりとささえてくださっている(sustain)がゆえに、はじめて、依りすがる、寄り頼むことができるのです。そのかかわりを、新改訳では「いだかれている」と訳しています。しかも、そのような人は「倒れてもまっさかさまに倒されはしない」(詩37篇24節)のです。なぜなら、主が私のいのちをささえる方だからです(詩54篇4節)。それゆえ、この詩篇の作者は「私は多くの人にとっては奇蹟と思われました。」(71:7)と述べています。つまり、人の目には、あり得ない、驚異の的とされたということ意味です。
  • 神の支えを拠り所として絶対の信頼を置くサーマフסָמַךְ(samakh)の類義語として、身を避けると訳されるハーサーחָסָה(chasah,71:1,71:7節には名詞「避け所」のמַחְסֶה)があります。ちなみに、「避け所」のマフセמַחְסֶה(macheseh)は、14:6/46:1/61:3/62:7, 8/71:7/73:28/91:2, 9/94:22/104:18/142:5 ―NIVでは、すべてrefugeと訳されます。他に、信頼を表すものとしては、バータハבָטַח(batach)があります。
  • 御子イエス・キリストの生涯の特徴は、御父に完全に依り頼んだことでした。語ることも、なすことも、すべては御父の語ること、なすことをなされました。御父の支えに依り頼んだ御子イエスのライフスタイルは、神の子どもとされた者たちの「ひな型」です。「ひな型」といっても、それは簡単にコピーして真似ることはできません。いのちのかかわりはある意味で修練(訓練・試練)が必要です。この修練は、必ずしも喜ばしいことではありませんが、後になると、「平安の義―神とのかかわりにおける関係概念―の実」を結ばせます。それゆえ、信仰の創始者であり、完成者である御子イエスから目を離してはならないのです。
  • 詩71篇は信頼を表わす告白で満ちています。
    「あなたこそ私の巌、私のとりで」(3節)、
    「あなたは、私の若いころからの私の望み」「私の信頼の的」(5節)、
    「私の力強い避け所」(7節)。

こうした神への信頼が、人々をして、驚きを与えたのです。


詩71篇(2)「心に留める」 זָכַר ザーハル   

〔カテゴリー: 祈り・瞑想〕

  • 16節「― 私は・・・あなたの義を、ただあなただけを心に留めましょう。」

Keyword; 「心に留める、思い起こす」remember, mention,  20: 7/22:27/42:4, 6/63:6/71:16//77:3, 6, 11/78:35, 42//103: 18/105:5/119: 52, 55//137:1, 6/143:5

  • 「心に留める」、「思い起こす」と訳されるザーハルזָכַר(zakhar)は、神と人とに双方に使われますが、詩篇を見る限りおいては、私たちが神のことに心に留めるよりも、神が私たちのことを心に留めてくださることのほうが圧倒的に多いのです。
  • すでに、詩20篇7節でこのザーハルזָכַר(zakhar)を取り上げましたが、そこでは「私たちは、私たちの神、主の御名を誇ろう」と訳されていました。本来、ザーハルזָכַרは瞑想用語であり、思い起こす、思い出す、心に覚える、記念するという意味です。さらに、神がなされたこと、神ご自身を心に思い起こすことだけでなく、それを口に出すことをも含んでいます。
  • ちなみに、この詩71篇には賛美に関する語彙―6, 8, 14節の「賛美/praise」テヒッラーתְּהִלָּה(tehillah)、22節の「ほめたたえる」ヤーダーיָדָה(yadah)、「ほめ歌を歌う」ザーマルזָמַר(zamar)、23節の「高らかに歌う」ラーナンרָנַן(ranan)の動詞、および、「宣教」に関する語彙、15節の「語り告げます」サーファルסָפַר(saphar)、17, 18節の「告げ知らせます」ナーガドנָגַד(nagad)、24節の「言い表します」ハーガーהָגָה(hagah)といった動詞があふれています。すべて心に満ちているものが口から出てくるのです。
  • この詩71篇では、自分の誕生の時から神にいだかれてきたことを思い起こし(6節)、年老いて自分の力が衰え果てたときにも、私を見放さないでくださいと祈っています(9節)。そして今も、常に自分のいのちをつけねらう者たちがいる状況の中で、作者は「ただあなただけを心に留めましょう」と瞑想の重要性を告白しています。現代の教会において、再び、瞑想の重要性を回復する必要があります。忙しく働き、生産性が常に求められる状況の中では、ゆっくり、ゆったり、ゆたかに神との交わりを持つことは、ある意味で生活スタイルの変革が求められます。
  • ウォッチマン・ニーはエペソ書のメッセージを「座す」「歩む」「立つ」という三つのキーワードで表わしました。この三つは密接な関係にありますが、中でも最も大切なことは、最初の「座す」ということです。キリストにおいて私たちの置かれている立場に座すことなしに、それにふさわしく「歩む」ことも、敵に対して「立ち」向かうこともできないからです。詩71篇の作者は、まず、心の中で静かに神を「思い起こす」ことによって、そこに満ちることが、やがて賛美となって口から出て、語り告げ(言い表す)ようになります。
  • いのちを喪失した中世の教会において、修道院は毎日、詩篇を瞑想することによって、霊性を回復し、教育、医療、福祉の分野において良い働きを生み出したことを覚えます。今一度、自分の生活を整理して、神のみことばに心を留める歩みを深めたいと思います。

              
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