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礼拝用語Ps73(2)

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詩73篇(2)「望む」 חָפֵץ ハーペツ

〔カテゴリー渇望〕

25節「天では、あなたのほかに、だれを持つことができましょう。地上では、あなたのほかに私はだれをも望みません。」 (新改訳)
25節「わたしはあなたのほかに、だれを天にもち得よう。地にはあなたのほかに慕うものはない。」(口語訳)

Keyword; 「望む、慕う、愛する、欲する、気に入る、喜ぶ」delight, desire, please,

  • 25節は「私はあなただけを望みとし、あなただけを慕う」という強い意志を反語的に表現しています。「あなただけを望む」の「望む」という動詞はハーペツחָפֵץ(chaphets)が使われています。ハーペツחָפֵץは旧約では74回、詩篇では17回ですが、そのうち神の恩寵として用いられているのは8回(18:19/22:8/37:23/41:11/51:6, 19/115:3/135:6)で、3回(73:25/112:1/119:35)が礼拝用語として用いられています。詩篇においては、「主が私を喜びとされた」(18:19)という恩寵の方が、私が主を喜びとし、慕うことよりも圧倒的です。
  • 作者が聖所に入ることによって、つまり静かに神を瞑想することによって、神の愛に再び気づかされ、天においても地においても、主のほかに慕うべきお方はいないことをさとったのです。そもそも作者が見るべきお方から目を離して、周囲を見たことから霊的逸脱が起こってしまいました。なにを見たのかと言えば、それは3節にあるように、悪者の栄えている姿でした。羽振りのよさ、つややかな顔、でっぷりした身体、深刻な悩みもなく見える人々を見た作者の心の中に「嫉み」が生まれました。そうなったとき、神の臨在感は希薄となり、むなしく感じられたのです。
  • しかし「聖所に入る」ことによって、霊的に物事を見えるようになりました。現代は、目に見える情報、耳から入る情報がいろいろなところから私たちに否応なく飛び込んできます。現代の高度刺激社会の中で、目にするもの、耳にするものによって私たちは翻弄させられます。そうしたものから私たちの心を守るためには、詩73篇の作者のように、自らの意志で「聖所に入る」決意が必要です。つまり、目には見えない方を信じ続けていく信仰の歩みにおいて、「静まる力」が必要なのだと信じます。主との親密で喜びに満ちた交わりを楽しみながら、天においても、地においても、「私はあなたのほかにだれをも望みません。あなただけを慕います」と言わせるのは、まさに聖霊のなせるわざといえます。
  • 神を「追い求める力」とともに、主の前に「静まる力」が必要です。それを可能とする道は、主イエスが「ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいる」と約束されたように、共同体的な取り組みが求められていると信じます。これは秘義です。いつの時代でも、霊的な回復をもたらされた時代には、必ずや、こうした取り組みがなされているからです。

              

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