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礼拝用語Ps92

詩92篇 「栄える」  פָּרַח パーラハ 

(カテゴリー:その他 )

12節「正しい者はなつめやしの木のように栄え、レバノンの杉のように育ちます。」
13節「彼らは主の家に植えられ、私たちの神の大庭で栄える。」

Keyword; 「栄える」 flourish, sprout, 72:7/92:7, 12, 13

  • この詩92篇には3つのパーラハ(פָּרַח)があります。この語彙が旧約に34回、詩篇には4回、そのうちの3つですから、この詩篇にとって重要な語彙と言ってもよいかと思います。花が咲く、芽生える、生長する、栄えるといった意味があります。
  • ちなみに、名詞形はペリー(פְּרִי)で、旧約で119回、詩篇では11回(1:3/21:10/58:11/72:16・・)使われています。
  • 詩91篇では、主とかかわりを「隠れ場」「陰」といった比喩で表わされましたが、詩92篇では「なつめやしの木」「植えられた木」という樹木の比喩によって、成熟(生長)すること、生長することが語られています。
  • 民数記17章には、主がアロンの家系が祭司として選ばれたことを示すために、各部族からそれぞれ12本の杖を持って来させ、神の選びの人の杖に芽を出させると言われました。すると、レビの家のアロンの杖が芽をふき、つぼみを出し、花をつけ、アーモンドの実を結びました。ここでの「芽をふき」と訳されているのがパーラハ(פָּרַח)です(この芽をふいたアロンの杖は契約の箱の中に入れられました)。杖が芽をふくということはあり得ません。これはキリストの復活のいのちを予表しています。
  • 詩92篇の作者は、7節において、一見、「悪者どもが青草のようにもえいで(פָּרַח)ようと」、それは必ず滅びるとしています。しかし神との正しいかかわりを持つ者は、「なつめやしの木のように栄え(פָּרַח)、レバノンの杉のように育つ」(12節)と、また「主の家に植えられ、私たちの神の大庭で栄える」(13節)と述べられています。なつめやしの木が十分な結実を見るまでには40年を要すると言われます。しかもその結実はなんと150年もの間続き、それから衰え始めると言われます。
  • キリストにある者たちのこの世における人生の目的も、キリストにあって「成熟すること」です。その成熟さは、1, 2節に述べられているように、いつも主に感謝し、主の御名を賛美し、昼も夜も主の恵みと真実を言い表すことだと、その秘訣を述べています。そしてそのような者に約束されている結実(成熟さ)は、「年老いてもなお実を実らせ、みずみずしく、おい茂っている」ことです。「みずみずしい」とはなんと驚くべき表現でしょうか。十代、二十代ならまだしも、「年老いてもなお」です。ここに復活のいのちのすばらしさがあります。「キリストにある」ことで、老いても「なお」輝いて生きることができるのです。
  • クリスチャン医師の日野原重明氏は、こうした詩92篇に描かれているような「老いを育てる」のは50歳代からだとしています。それは第二の人生に向けての準備の時だからです。多くの人たちが「老い」を拒絶しようとしますが、むしろ主体的に、老いに向かって、「老いを育てる」、「老いを創める」ことが、いのちの質をより高めていく人生となることを日野原氏は語っています。

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