礼拝用語Ps98
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詩98篇「(手を)打ち鳴らす」 מָחַא マーハー
(カテゴリー:賛美)
8節
「もろもろの川よ。手を打ち鳴らせ。山々も、こぞって主の御前で喜び歌え。」
Keyword; 「打ち鳴らす」 clap, 98:8 Isa. 55:12
- 「手を打ち鳴らす」と訳された「マーハ」(מָחַא)は、旧約の中では3回しか使われていません。詩98篇とイザヤ書55章では、いずれも、人々が神に対してではなく、自然界が神に対して擬人法的に使われています。
- このように、自然界を擬人法的に歓呼させる例としては、他に、詩96篇11節、詩103篇22節、イザヤ書42章10~11節、44章23節、49章13節があります。へブル人たちの自然界そのものも歓喜の奔流に巻き込んでいます。
- 神のイスラエルに対する「奇しいみわざ」の歴史は、しばしば自然と抱き合わせです。エジプト脱出後の紅海渡渉、カナン入国に際してのヨルダン河の渡渉、最初の戦いであったエリコの戦い、カナンの将軍ヤビンとの戦い、ミツパでの戦い・・・・これらはみな
自然によって勝利がもたらされています。へブル人たちは自分たちの存在が神と自然と密接な関係をもっていることを知っていたようです。
- 「マーハ」(מָחַא)の類義語に「ターカ」(תָּקַע)があります。「すべての国々の民よ。手をたたけ תָּקַע。喜びの声をあげて神に叫べ。」(詩47篇1節)。この「ターカ」(תָּקַע)は、手をたたくことだけではなく、祭司がラッパを吹き鳴らしたりする場合にも使われます。「われらの祭りの日に、新月と満月に、角笛を吹き鳴らせ。それは、イスラエルのためのおきて、ヤコブの神の定めである。」(詩81篇3~4節)
- 民数記10章2~10節で、モーセは祭司たちにイスラエルの会衆を集めたり、行軍したりするときに銀のラッパを吹き鳴らして合図するように指示しました。ヨシュア記ではカナンでの最初の戦いーエリコの戦いーの前に、神の民を覚醒し、あるいは、敵に対して威嚇するために、祭司たちが角笛を吹き鳴らしました(ヨシュア6章参照)。いずれも、使われている動詞は「ターカ」(תָּקַע )です。
- 手をたたいたり、手を打ち鳴らしたりすることは、合図、指示、覚醒、威嚇、勝利、神への称賛、といった意味合いがあります。私たちが神を賛美するときに手をたたくのも、神に対する称賛、ないしは勝利への喜びなどを表しています。私たちももっと神に対して、イスラエルの民が角笛やラッパを吹き鳴らし、タンバリンを打ち鳴らし(נָתַן)たように喜びの表現として神への称賛の表現として手をたたくべきです。
- 手を叩いて勝利者をたたえたり、人を歓迎したりすることは、ごく当たり前のように見えますが、新約聖書に、神とのかかわりおいて、手をたたいたり、打ち鳴らしたりする表現がないのはとても不思議なことに思えます。