社会とのかかわりを育てる学びの視座と教会の今日的課題
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C-00.学びの視座と教会の今日的課題
(1) 学びの視座
- 講義Aでは、「神との親しい関係を育てる」面に、講義Bでは、「人との親しい関係を育てる」面において、特に、教会という共同体の交わりの枠におけるとりなしに強調点が置かれた。講義Cでは、さらにホスピタリティ・マインドをもって人をもてなし、人と関わりながら、人と社会とに仕えていくという愛の働き、奉仕の生活についての模索である。
- 神のしもべとされた者が、神と教会、そして人(社会)に仕えるという視座から、愛の実践が単に教会内だけに通用するようなものではなく、ボランティア活動、社会福祉活動といったキリスト者の社会的責任についてもかかわります。さらにまた、召命、職業、宣教、ビジネスといった事柄にもかかわります。
(2) 教会、およびクリスチャンの今日的課題
- ①自分の身を守ることに精一杯な現代社会において、しもべとして「仕える」ライフスタイルは必ずしも歓迎されるものではない。少しでも自分が得をし、楽することばかり考えてしまう者が多いのではないか。神と人に仕えることを喜び、しかも自発的になすその生き方こそ、イエス・キリストご自身のこの世における生き方であったことを思い起こし、そこに光を当てること。
- ②私たちは「霊的」であることを強調するがあまりに、社会の諸問題(飢餓、貧困、高齢化、障害者、子どもへの虐待、中絶、等)に無関心、無頓着であったりする傾向がある。「世の光」「地の塩」としての教会が、社会から遊離することなく、世(社会)に対する愛の実践者としての責任を果たしていくために、教会が、あるいはクリスチャンひとり一人が主から明確な召しをいただく必要があること。
- 以上の点こそ、教会、および私たちクリスチャンの今日的課題といえる。
(3) 主要聖句・・マルコの福音書10章45節
- 「人の子が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕える(ディアコニア)ためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためなのです。」
- ここにキリストのしもべとしての姿がある。主の生涯はしもべとして仕える生涯であり、「主は、私たちのために、ご自身のいのちを与えられた」のである。このように、人の生涯は、「だれが」「だれのために」「自分のなにを」「どのようにしたのか」というワン・センテンスで言い表すことができる。
(4) キー・ワード
- 「しもべ」、「仕える」、「奉仕」、「もてなし」、「執事」
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