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神がイスラエルの民のつぶやく不平を静めたしるし

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民数記の目次

15. 神がイスラエルの民のつぶやく不平を静めたしるし

【聖書箇所】 17章1節~13節

はじめに

  • 神によって指導者として選ばれたモーセとアロンは、イスラエルの民によって、常に、妬みの対象となりました。それは彼らに対する「不平、つぶやき」という形で表われました。新改訳は「つぶやく不平」と訳していますが、口語訳は「つぶやく」、新共同訳は「不平」と訳していますが、新改訳はそれらをあわせて「つぶやく不平」と訳しています。「つぶやく不平」と訳されたヘブル語は「ルーン」(לוּן)ですが、この動詞は不思議です。本来の意味は「泊まる、夜を過ごす、とどまる」で、その強意形のヒットパエル態は詩篇91篇1節では、全能者の陰に「宿る」という神との親密なかかわりを示す意味を持ちながら、同時に、「つぶやく」「不平を言う」という全く逆の意味をもっているのです。
  • 民の指導者として選んだ者に対して、つぶやき、不平を言うことは神に対して不平を言うことです。神の権威が与えられていることを認めてもらえなければ、その働きを遂行することはできません。使徒パウロもコリントの教会の人々から同様な態度を取られました。つまりイエス・キリストの使徒であるということが理解されず、そのために彼に与えられた働きを進めることができず、苦しんだことを吐露したのがコリント第二の手紙でした。
  • いずれにしても、この問題は彼らを立てた神が解決してくれなければ先へは進めません。これまでも神の立てた指導者に対する妬みや反逆が起った時には、そのときそのときに神が解決してくれましたが、ここ17章においても神が問題を解決してくださっています。

1. 民のつぶやく不平を静める神の方法

  • その解決とは、神がアロンを選んだという確かなしるしを現わすことによってです。具体的には、レビ部族もふくめて他の部族からそれぞれ1本ずつの杖(「マッテー」מַטֶּה)を用意させ、それぞれの部族の名前を書いて、レビ族の場合は「アロン」という名前を書くように指定され、それが会見の幕屋の主の前に置かれました。モーセは翌日になってその天幕の中に入り、主の前から置かれた12の杖をイスラエル人のところに持って来ました。するとどうでしょう。アロンの杖が「芽をふき、つぼみを出し、花をつけ、アーモンドの実を結んでいました。」(8節)。ここにアロンが神によって選ばれたことが人々の前に証しされました。そししてその杖は、代々にわたって人々に証しされるために、契約の箱の中に入れられました。このように神の方法の多くは戒めとしての視覚教材にして、代々それが覚えられるようにしていることです。視覚教材とはいえ、契約の中に入れられた契約の板やマナのつぼ、そして今回のアロンの杖はだれもがいつも見ることはできないものでしたが・・・。
  • 初代教会において、使徒パウロは熱心にイエス。キリストを信じる者たちを迫害しましたが、彼はダマスコ途上でキリストと出会い、異邦人のための使徒として特別に選ばれた器でした。その選びは彼が母の胎のうちにいる時から、いや、この世の基の置かれる前から神はキリストのうちに選んでおられたことが、時至ってなされたのが、あのダマスコ途上での経験です。
  • 彼がキリストと出会って回心した出来事と召命は一つの出来事でした。彼の召命について、ルカは使徒の働きの中で3回にわたって記していますが、その3箇所とも共通して描かれているのは、パウロの「起き上がり、立ち上がり」です。そこに使われている3つの動詞は、「アニステーミ」ανιστημι、「エゲイロー」εγειρω 、「ヒステーミ」ίστημιです。これらはみな「復活用語」です。しかもすべて「アオリスト時制」の能動態、命令形です。ちなみに、「アオリスト」の時制は自らの意志で「起き上がり、立ち上がった」ことを意味します。復活のキリストとの出会いにおいて、彼はそのような力が与えられただけでなく、神の選びの器として、主から新たな使命を与えられたのです。
  • 「エゲイロー」εγειρωは文字通り、死からのよみがえりを意味する動詞で、イエスはしばしば自分がエルサレムにおいて「捨てられ、殺され、よみがえる」ことを弟子たち語りました。もうひとつの「ヒステーミ」ίστημιはしっかりと立つ、堅く立つことを意味する動詞ですが、この時制が「アオリスト」で使われてると自分の足(意志、決意)でしっかりと立つことを意味します。
  • 「アニステーミ」ανιστημιは横になっているもの、倒れているものを縦に起こすことを意味します。パウロが第一次伝道旅行でルステラという町に行ったとき、彼の働きを邪魔するユダヤ人たちによって石打ちを受けました。人々からは死んだと思われました。ところが彼はやおら「立ち上がり」、その町を出て新たな宣教の働きをしていったことが記されています。これこそパウロがキリストのゆえにどんなに苦しみを受けても、「立ち上がっていった」ところのきわめて象徴的な出来事でした。
  • パウロが回心した後に、主からの召命を受ける際に「彼がわたしのためにどんなに苦しまなけければならないかを示すつもりです」と弟子のアナニヤに言いましたが、パウロに与えられた苦しみは、すべてイエス・キリストの復活のいのちを示すためであったと言えます。神の選びの器の苦しみはまさにキリストの復活のいのちをあざやかに証しすることにあったのです。
  • 祭司アロンが神によって選ばれたことを人々に神は教えるために、アロンの杖から「芽が出て、つぼみを出し、花をつけ、アーモンドの実を結」ばせたように、新約時代の神の選びの器はどんなときにもその土の器の中に神の復活のいのちが輝いているのです(2コリント4:7~15参照)。

2012.2.7


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