****** キリスト教会は、ヘブル的ルーツとつぎ合わされることで回復し、完成します。******

神の家族としての教会

第18日目  神の家族としての教会

【聖書箇所】エペソ人への手紙2章19節

【新改訳改訂第3版】エペソ2:19
こういうわけで、あなたがたは、もはや他国人でも寄留者でもなく、今は聖徒たちと同じ国民であり、神の家族なのです。


●「こういうわけで」と訳されていますが、原文には「アラ・ウーン」(ἄρα οὖν)とあり、「それゆえ、こういうわけで」という二つの接続詞が置かれています。つまり19節は、2章11~18節までの説明を受けての結論的部分です。

●「あなたがた」とは、12節にある
(1) 「イスラエルの国から除外され」(ていた人々)⇒「同じ国民」
(2) 「約束の契約においては他国人」⇒「もはや他国人ではない」
(3) 「神もない人たち」⇒「神の家族」
となったことを示唆しています。これらの人々がもはや「同じ国民」「もはや他国人でも寄留者でもなく」「神の家族」なのです。つまり、「あなたがた」とは、ユダヤ人の中に異邦人が組み入れられて出来たキリストの教会なのです。


はじめに

  • 先週(2007.12.23)、Y・Kさんがイエス・キリストを信じて洗礼を受けられました。そして私たちと同じ神の子どもとされました。単に、神の子どもとされただけでなく、神の家族の一員とされたのです。洗礼を受けるとは新しく生まれることであって、私たちの生涯においては一度限りのことです。洗礼を受け直すということは本来あり得ません。

(1) 洗礼とは罪を赦されて神の子どもとして新しく生まれ変わることで、受洗した者は「新しく創造された者」であることを意味します。
(2) 洗礼によって新しく生まれることは、神の喜びです。
(3) 洗礼は、神の家族の一員となったことを示します。
(4) 霊的家族関係は血縁的な家族以上に重要で、その関係は永遠に続きます。

  • 同じ父である神と同じ長子 (イエス・キリスト)を持つ私たちは、神の養子です。イエス・キリストは神の御子(実子)でありながら、私たちを神の養子となれるようにして下さった方です。その方は、自分の兄弟姉妹である私たちをだれひとりとして恥とはされません。
  • 私たちの世界では、自分の兄弟姉妹を恥だと思うことがあるでしょう。自分の親や自分の子ども、そして自分の兄弟を恥じと思うことがあるのです。しかし、イエス・キリストはご自分の兄弟姉妹を決して恥とはなさいません。むしろ誇りに思っておられるのです。この驚くべき真理をあなたは信じますか。

1. 神の子とされたことの特権(誇り)

  • 変わることのない神(父)のご計画は、イエス・キリストを通して、私たちをご自分のもとに引き寄せ、私たちを神の家族の一員とするために養子として迎え入れてくださるということです。このことはすでにエペソ書の1章5節で記されています。「神は、みこころのままに、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられたのです。」と。
  • 「養子」というと、日本では実子よりも格段劣るように考える人が多いようです。しかしアメリカなどでは、聖書的思想の基盤があるせいか、「養子」といえども、「実子」と同じ特権と責任を有する者として受け止められています。
  • クラーク・桂子さんという方の話をしましょう。彼女はすでに三人の孫をもっておられる方で、アメリカのサンロレンゾ という所に住んでおられます。彼女は、第二次世界大戦後に、黒人の父と日本人の母との間に生まれた混血児でした。彼女は自分自身をミックスと言っていますが、幼い時から両親に捨てられて育ちました。九州の佐賀で育ったようですが、その学校では混血児は彼女ひとりだけだったので、そのためにいじめられたようです。
  • 彼女が大きくなって、あるラジオ文化放送「今晩は、森繁久弥です」という番組を聞き(と言っても40年前のことですが)、その番組に投書したそうです。自分の出生故に悩み、苦しみ、その結果、自殺未遂をしたことを書きました。その投書は番組で取り上げられて反響を呼びました。その話は北カリフォルニアにまで及びました。多くのリスナーから励ましの手紙をもらったそうです。その中に、日本語のわかるクラークという一人の青年から便りがあり、その後日本で出会い、お互いに心ふれるものを感じて、桂子さんはその青年クラーク氏と結婚しようとアメリカに行こうと思いました。ところが、父親がアメリカ人であり、その父親も消息不明ということで、彼女の戸籍はなく、出国が許されませんでした。
  • そのとき、彼女のために役所と掛け合ってくれた方がいました。しかし、戸籍がないことには埒があきません。そこで、その方は、彼女を自分の養女にする決心をして、その書類を役所に提出しました。戸籍を持つことができた彼女ははじめて出国が許可され、クラーク氏との結婚が実現できたのです。現在も、彼女はその父親の娘として、他の実子の二人の兄弟と仲良くしているそうですが、その彼女の養父となったのは、なんと俳優の森繁久弥氏なのです。
  • 彼女はアメリカに渡り、結婚しました。教会にも行くようになりました。しかし、なかなかイエス・キリストを信じることができませんでした。神は愛であるということがどうしてもわからず、受け入れられなかったのです。しかし10年ほど過ぎて、少しずつ彼女の心は開かれ、ついにイエスを心に受け入れました。心の扉を開いたのです。今は、三人の孫たちも与えられてみな教会に通っているそうです。
  • 神の子どもとされることは、正式な意味では神の「養子」になることです。神の子の実子は御子イエスだけです。私たちは御子イエスの血、すなわちいのちという代価によって、贖われて、神の養子とされたのです。養子であっても、実子となんら変わらない立場と権利をもつことなのです。父からキリストと共同の相続財産をいただくことができるのです。
  • 日本では、養子は実子と比べて何かと差別されることが多いようです。ですから、養子であることを何か恥ずかしいことのように隠そうとします。しかし聖書的背景のあるアメリカでは、養子はむしろ「選ばれた子」として大切にされます。多くの場合、養子とされた子どもたちは、自分を選んで養子としてくれた両親に感謝し、自分を「選ばれた子」として誇りに感じるらしいです。―私たちも、神様の子ども(養子)とされたことに大いに誇りをもって良いのです。なぜなら神が私を養子として選んで下さったのですから。「アーメン」でしょうか。

2. 子であることの特権の内実

(1) 家族としての相続財産権を与えられる

  • 神の子どもとなり、神の家族の一員となった者には、その家族の財産の分け前にあずかる(相続する特権を持つ)ことができます。遺産を相続する場合、弁護士は、遺族の中に故人の隠し子がいないかどうか、戸籍を取り寄せて綿密に調べるそうです。もしいればその者にも法的に同等の遺産相続権が賦与されるからです。

(2) 神の相続財産とは

  • 普通の相続財産と言えば、金銭や不動産ですが、ときには借金や負債であったりします。だれもそのような遺産を相続したいとは思いませんが、それを受け取らざるを得ないこともあるのです。しかし、神からの相続財産はそのようなものではありません。

① 永遠に神と共に過ごすこと
② キリストの似姿(朽ちないからだ)に完全に変えられること
③ あらゆる痛み、苦しみ、死から解放されること
④ 私たちの労が報われること


3. 神の家族として生きる祝福と責任

  • 神の家族の一員として加えられていることほど、名誉なことはありません。それは私たちが手にすることのできる最高の特権なのです。 その祝福をうまく表現した詩篇があります。前回でも紹介しましたが、今回もう一度読んでみたいと思います。詩篇133篇です。

【新改訳改訂第3版】詩篇133篇
1 見よ。兄弟たちが一つになって共に住むことは、なんというしあわせ、なんという楽しさであろう。
2 それは頭の上にそそがれたとうとい油のようだ。それはひげに、アロンのひげに流れてその衣のえりにまで流れしたたる。
3 それはまたシオンの山々におりるヘルモンの露にも似ている。【主】がそこにとこしえのいのちの祝福を命じられたからである。

  • ここには、神の家族として生きる者たちに対する永遠の祝福の約束が記されています。そして同時に、その責任と課題についても記されています。その責任と課題とはなんでしょうか。それは、主にある兄弟姉妹が「一つになって住む」という責任と課題です。これは決して簡単なことではありません。それが容易ではないことは聖書を読めば分かります。

① カインとアベル・・・カインは妬みのゆえにアベルを殺しました。
② ヨセフと他の11人の兄弟・・ヨセフを妬んだ他の兄たちは、ヨセフをエジプトに売り飛ばしました。
③ ダビデの息子たち・・誰一人として仲の良かった兄弟はおりません。ダビデには多くの息子がおりましたが、母親が一人ひとり異なっていたことが仲が悪い原因でした。

  • 「一つになって住む」ことを難しくさせる問題が私たちの内にあります。しかし、神はそんな私たちを新しくして神の家族として生きるように願っているのです。なぜ、私たちには教会という家族が必要なのでしょうか。その理由を考えてみましょう。

(1)「人はひとりでいるのは良くない」から

  • 第一の理由は、「人はひとりでいるのは良くない」と神が言われたからです。つまり、三位一体なる神が愛の関係性の中に存在するように、人も同じく愛の関係性の中に創造されているからです。
  • 私たち人間はだれでも、父と母という両親のもとに存在します。そして父子関係、母子関係を築きます。父と母はそれぞれ異なった役割を持っていますが、父と母が互いに愛し合い、正しい役割をもってかかわっている場合には、子に対して良い影響を与えますが、そうでない場合、母子関係が良くても、父子関係が悪い時、その逆の場合も、健全なかかわりをもって生きることができなくなります。そこに兄弟姉妹とのかかわりが加わっていきますと、さらに問題が複雑化します。しかし、人間として健全に生きるためにはどうしても社会の最小単位としての家族関係が健全でなければなりません。
  • 人はひとりでいることは良くないからです。ですから、神は新しい家族の中で私たちを生まれ変わらせて、その中で家族の愛の中で再度生きるようにしてくださったのです。しかしそうした新しい霊的な家族関係の中にも、血縁関係の中で受けた傷ゆえの亡霊がよみがえってくることがあります。しかしその亡霊に脅かされずに生きるためには、健全な神の家族の中に生きることを選び取らなければなりません。神の家族と言えども、完璧な教会はどこにもありません。自分の置かれたそれぞれの教会(各個教会、ローカルチャーチ)に所属して、その中で神の家族の一員として生きるように神が望んでおられるということを信じなければなりません。

(2) 信仰から落ちないように支えるため

  • なぜ私たちには教会という家族が必要なのか、その第二の理由は、私たちが信仰から落ちないようにするためです。サタンは神の家族から離れて遠ざかっている、孤立した信者が大好きです。なぜなら、そのような者はサタンの策略に対して無防備であり、無力であることを知っているからです。家族の絆から切り離すことによって、魂を神から奪おうとしているのです。
  • 私たちが神の家族として生きるのは、私たちに必要なものが、すべて教会の中にあるからです。教会の中にあるもの、それは以下のものです。

① 礼拝・・焦点を神に向けさせます。
② 交わり・人生の問題に立ち向かわせ、互いに思いやりの心を育てます。
③ 奉仕・・自分の賜物を発見させ、教会の中に生き甲斐を見出させます。
④ 教育・・神を知り、信仰を強めさせます。
⑤ 伝道・・祝福を与える使命を全うさせます。祝福を与えることによって、さらに祝福を受けるという「祝福の循環」を経験させます。

(3) 互いに果たすべき責任があるため

  • 「互いに(を)」という語彙は新約聖書の中に50回余。私たちは家族として「互いに愛し合うこと」「互いに祈り合うこと」 「互いに仕え合うこと」「互いに理解し合うこと」「互いに励まし合うこと」「互いに受け入れ合うこと」「互いに教え合うこと」「互いに尊敬し合うこと」「互いにゆだね合うこと」「互いに重荷を負い合うこと」・・これが聖書の教えるメンバーシップです。
  • ここに教会出席者と教会員との違いがあります。教会出席者は傍観していればそれで良いのですが、教会員は「互いに」という責任をもって生きる者たちなのです。ことばは少しきつくなりますが、教会出席者は、結婚せずに、同棲しているようなものです。はっきりとした責任を持たないで生きている関係のようなものです。しかし教会員は違います。互いに生きることを通して、神の家族として生きることを選び取った者たちです。

(4) 家族の愛を通して神の存在をこの世に示す必要があるため

  • 神は神の家族を通して、その家族の者たちの愛を通して、この世に神がおられることを示そうとしておられます。イエス・キリストは十字架にかかられる前の晩、弟子たちと共に食事をとられたあとに、御父に向って弟子たちのために祈られました。その祈りの大切な部分は「彼らが一つとなるように」という祈りでした。ヨハネの福音書17章にあります。しかもこの祈りをイエスは五回も祈られたのです。この祈りは「みこころの奥義」そのものであり、神のご計画の究極です。ですから、このイエスの「彼らが一つとなりますように」という祈りはいまだ完成されていません。しかし必ず実現する祈りなのです。私たちはこの祈りの実現に向けてかかわるようにと召されているのです。
  • 神の家族としての教会が建て上げられるように祈りましょう。そのためには私たちがその一員としての責任と課題をしっかりと受け止めていく必要があります。つまり、神の家族という共同体を建て上げるために献身することを、神は求めておられるのです。あなたはその神の求めに従う心をもっておられますか。そのことを神は私たちに問うておられるのではないでしょうか。


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