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神の恵みの手段としてのしるし

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民数記の目次

13. 神の恵みの手段としてのしるし

【聖書箇所】 15章1節~41節

はじめに

  • カナンの偵察は想定外の悲しい結果を引き起こしました。その結果とは、14章29, 30節にあるように「この荒野であなたがたは死体となって倒れる。わたしにつぶやいた者で、20歳以上の登録され数えられた者たちはみな倒れて死ぬ。(ただカレブとヨシュアを除くが)・・あなたがたを住まわせるとわたしが誓った地にだれも決してはいることはできない。」という神のさばきでした。
  • ところが15章は、出エジプト時に20歳以下であった者と荒野で生まれた世代の者は、「わたしがあなたがたに与えて住まわせる地にはいり」という想定で、さまざまなことが語られているのです。それまでの約38年間は、第二世代の者たちに神に全面的に信頼して生きることを身につけさせるための訓練の期間でした。第一世代は神の救いに与ったにもかかわらず、皮肉にも、第二世代の反面教師となったのでした。
  • 民数記15章は大きく三つの事柄から成っています。

    (1) 神に近づくためのささげものについての規定(15:1~21)
    (2) 過失の罪と故意の罪に対する処置について(15:22~36)
    (3) 青いひもをつけるという神の恵みの手段(15:38)

  • ここでは、まず(3)の神の恵みの手段について瞑想し、そのあとに、故意の罪に対する神の厳しいさぱきについて取り上げたいと思います。

1. 神の恵みの手段としての青いひも

  • 神は、ご自身の民に対して「代々にわたり、着物のすその四隅にふさを作り、その隅のふさに青いひもをつけるように」と指示されました。この目的は、イスラエルの民がそれを見ることで、「主のすべての命令を思い起こし、それを行なうため」であり、「神の聖なるものとなるため」でした。
  • すべての民が着る着物のすその四隅にあるふさに、青いひもがつけられていることを思い浮かべてみるなら、なんと壮観でしょうか。自分だけでなく、互いにそれが見えるようになります。自分がいつも着る服のすべてに青いひもは、常に身につける神のしるしとなります。自分が神の民であるというアイデンティティを意識するようになります。心に刻みつけられます。
    画像の説明
  • 神の律法を思い起こし、ひとりひとりの心に刻み込むための「恵みの手段としてのしるし」である「衣のふさの青いひも」(「ツィーツィット」צִיצִת)の存在はすばらしい神の発想です。ひもの色「青」は本来、「神聖」を意味する色で「神」の色と言えます。そうした色のひもをひとりひとりが身につけることで、民族的なアイデンティティのシンボルとなります。ちなみに、今日のイスラエルの国旗の色は「青」です。
  • 申命記6章によれば、「常に身につけるしるし」として、神が神の戒めを書いた紙片を納めた小箱を二つ作り、朝の祈りの時に左腕と額に記章として身に着けるように語られています(申命記6:9)。
  • これらはすばらしい神の恵みの手段としてのしるしですが、イエスか来られた時代には、飾りのふさは社会的身分の象徴の意味も帯び、裕福な身分の人であればあるほど派手なデザインのふさをつけるようになりました。あるパリサイ人の飾りのふさは、非常に長く込み入ったデザインで、地面を引きずるほどであったとも言われています。こうした見せびらかしを、イエスは「人に見せるため・・・・衣のふさを長くしたりする」(マタイ23:5)とお責めになりました。
  • 今日のキリスト者にはこうした神の恵みのしるしとしてのしるしとしては「聖餐式」がそうです。主の身代わりの死を思い起こすしるしです。「衣の裾につけられた青いひも」のような目に見えるしるしはありませんが、主を信じる者にはひとりひとりに御国を受け継ぐための「聖霊による証印」が押されています(エペソ1:13)。肉の目には見えませんが、神はもちろんのこと、霊の目にはそれが見えるのです。

2. 故意による罪は赦されない

  • 民数記15章の中にある「故意に罪を犯す者」はだれひとりとして赦されないことが記されています(15:30)。「故意に罪を犯す」と訳されたことばはヘブル語で「手」を意味する名詞「ヤード」(יָד)と、「高ぶる」ことを意味する動詞が「ルーム」(רוּם)が結びついた表現です。新改訳聖書のチェーン式バイブルの脚注には、「主に向かって手を上げ、逆らって進んで罪を犯すこと」と説明しています。
  • イエスも「神の指」としての奇蹟を見ていながら、頑なにイエスを拒絶しようとしたパリサイ人や律法学者に対してこう言っています。「たとい、人の子をそしることばを使う者があっても、赦されます。しかし、聖霊をけがす者は赦されません。」(ルカ12:10)
    〔このことばの真意についてはこちらをクリックしてください〕

2012.2.3


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