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福音とは「御子」に関すること

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No.3 福音とは「御子」に関すること

ベレーシート

  • 1節で、神の福音のために選び分けられ、そのために召されたパウロは、「神の福音」について説明しようとしています。まずは、聖書を読んでみましょう。

    【新改訳改訂第3版】ローマ人への手紙 1章2節
    2──この福音は、神がその預言者たちを通して、聖書において前から約束されたもので、
    3 御子に関することです。

画像の説明

1) 関係代名詞「ホス」(ὁς)。1節の「ユーアンゲリオン」)を指す。
2) προεπηγγείλατο 動詞「プロエパンゲッロマイ」(προεπαγγέλλομαι)のアオリスト中態3単、予め、前もって約束した。動詞の主格は「神」。
3) διὰ 前置詞(属)、~を通して。
4) τῶν 冠詞(属男複) 冠詞「ホ」( )の属男複。
5) προφητῶν 名詞「プロフェーテース」(προφήτης)の属男複、預言者。
6) αὐτοῦ 代名詞「アウトス」(αὐτος)の属男単。
7) ἐν 前置詞(与) ~の中で、~によって。
8) γραφαῖς 名詞「」グラフェー」(γραφή)の与女複、書物。
9) ἁγίαις 形容詞「ハギオス」(ἁγίος)与女複。聖なる、聖い。
10) περῖ 前置詞(属)、~について、~に関して
11) του 冠詞(属男単)。
12) υἱοῦ 名詞「ヒュイオス」(υἱος)の属男単。息子、御子。
13) αὐτοῦ 代名詞「アウトス」(αὐτος)の属男単。ここでは「神」。


1. 福音とは、神が前から約束されたもの

  • パウロは、「福音」とは「御子に関すること」だと述べています。しかも御子についはて、神が「前から約束されていた」と述べています。「前」からとは旧約時代を意味します。つまり御子に関する福音は、すでに旧約聖書の中で約束されていたことが、今や現わされたということです。
  • 動詞「プロエパンゲッロマイ」(προεπηγγείλατο)は、「前もって、予め、以前に」を意味する前置詞の「プロ」(προ)と、「約束する、公言する」を意味する「エパンゲッロマイ」(επαγγέλλομαι)の合成語です。この動詞の主体は常に神であり、その約束の受け手は常に人間です。つまり神は約束の神です。そこから、約束の成就という考え方が引き出されます。神の御子イェシュアはイスラエル物語の完成者であり、約束の成就者なのです。ということは、旧約聖書におけるイスラエル物語を私たちは良く知らなければなりません。脚注

2. 福音とは、預言者たちを通して

  • 「この福音は、神がその預言者たちを通して」という部分に目を留めたいと思います。ここでいう「預言者たち」とは、旧約時代に登場するイザヤやエレミヤといったある特定の預言者たちのことではなく、旧約聖書に登場した預言者たち全体を意味します。その中には、モーセやダビデ、そのダビデに進言したナタンといった預言者も含まれます。
  • 復活されたイェシュアが失望してエマオの途上に向かう弟子たちに次のように語りました。

【新改訳改訂第3版】ルカの福音書24章25~27節
25 するとイエスは言われた。「ああ、愚かな人たち。預言者たちの言ったすべてを信じない、心の鈍い人たち。
26 キリストは、必ず、そのような苦しみを受けて、それから、彼の栄光に入るはずではなかったのですか。」
27 それから、イエスは、モーセおよびすべての預言者から始めて、聖書全体の中で、ご自分について書いてある事がらを彼らに説き明かされた。


3. 福音とは、聖書によって

  • イェシュアはエマオの弟子たちに、メシアは苦しみの後に栄光を受けられることを預言者たちからはじめ、27 それから、イエスは、モーセおよびすべての預言者から始めて、「聖書全体の中で、ご自分について書いてある事がらを彼らに説き明かされた。」とあります。つまり、旧約聖書における預言者たちが説いたすべての事とは、聖書全体にわたることであり、イェシュアについての証言であったのです。
  • 詩篇1篇における最も重要な語彙について、多くのクリスチャンに尋ねると、その答えはトンチンカンチンであることが多くあかもります。その原因は訳文のまずさもあるのですが、聖書の読み方に原因があります。つまり自分本位に読んでいるからです。
  • イェシュアがユダヤ人に次のように語っています。

    【新改訳改訂第3版】ヨハネの福音書5章39~40節
    39 あなたがたは、聖書の中に永遠のいのちがあると思うので、聖書を調べています。その聖書が、わたしについて証言しているのです。
    40 それなのに、あなたがたは、いのちを得るためにわたしのもとに来ようとはしません。

  • 上記のことは、今日のクリスチャンにも言えるのです。詩篇1篇の最も重要な語彙は、「その人」です。しかも「その人」とは神の御子イェシュアのことを証言しています。この「その人」こそ、神の視点からするならば「幸いな人」なのです。しかも「その人」に繋がる者こそ、聖書のいう「正しい者たち」であり、神である主はそのような人たちの道(歩み)を知っていてくださるのです。
  • 旧約聖書全体が、神の御子であるイェシュアを証言する書であり、その視点から聖書を理解しなければなりません。

脚注

●私の書斎に「コンサイス・バイブル 福音」というタイトルの本があります。これは聖書を配布している団体によって作られ、配布されている聖書です。「コンサイス」とは簡潔な、要領よくまとめられたという意味ですが、その内容は、旧約聖書の創造の物語と人間の堕罪、そしてノアの時代の神のさばきが記されて、そのあとに旧約のメシア預言のいくつかが紹介され、新約聖書のイエスの物語と終わりの時の教えが記された内容となっています。ここで私が言いたいことは、アブラハム・イサク・ヤコブの子孫であるイスラエルの物語がすっぽりと抜け落ちているということです。イスラエルの物語が完全に欠落した形の福音としてまとめられているのです。

●これまで伝え聞いて来たキリスト教の「福音」とは、この「コンサイス・バイブル」が象徴しているような「福音」だったということです。日本のような異邦人に福音を伝えていくためには、そのような、簡潔にまとめられた、パッケージ化された商品のような「福音」はまことに便利なものでした。伝道のツールとしての「四つの法則」に見られるように、「神」「罪」「救い」「信仰」で、ある意味、最少の知識だけで神からの永遠のいのちを得ることができるというものです。果たして、このような福音に対する理解だけで、次の世代に信仰を継承していって良いのかどうか、私自身懸念を抱くようになっていたとき、2013年5月に翻訳出版された、スコット・マクナイトという方の「福音の再発見」(中村佐知訳、キリスト新聞社)という本に出会いました。そして、これまでの福音の提示の仕方が、神のご計画の全体像を知ることを妨げているのだと確信しました。信仰の継承を祈っていくとき、この問題を避けて通ることは出来ないことを改めて悟ったのです。

●スコット・マクナイト師によれば、現在用いられている「福音」という言葉は、もはやイエスや使徒たちが意味していた本来の福音を示すものではなくなってしまったということです。彼は、「福音とは、イスラエルの物語を完成させるイエスの救いの物語であり、イエスは明らかに、イスラエルを救う神のご計画の中心に自分を据えていた。」と述べています。換言するならば、「福音とは、イスラエルのメシアであり、すべてのものの主であり、ダビデの裔(すえ)である救い主イエスの、その救いの物語によって完結するイスラエルの物語である」と言えます。コンパクトにパッケージ化された商品のような「福音」、つまり「個人的な救い」が強調されることによって、私たちは神のご計画全体に関心をもたなくなっているばかりか、同じく神のご計画の視点によって語られているイエスのことば(たとえ話も含めて)の多くを誤解して解釈しているという懸念があります。

●これからは、教会の宣教の働きのためにも、聖書の壮大な物語を読み解くことのできる新しい世代が育成される必要があります。一見、回り道のように見えますが、これからの時代の教会の担い手を育成するためには必要不可欠な取り組みだと信じて、空知太教会では礼拝の中に教会学校を設けて、子どもたちに「イスラエル物語」を学ぶ取り組みをしています。そのことで、聖書を自分本位で読むのではなく、「神様にはやりたいことがある」という視点から聖書を読んでいくことを学ばせています。


2017.1.12


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