私たちには、今なお一つの希望があります
エズラ記の目次
10. 私たちには、今なお一つの希望があります
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【聖書箇所】 10章1節~44節
ベレーシート
- 「エズラ記」の最終章です。神の民の再建をテーマとして帰還したエズラでしたが、その改革は予想以上に困難と思えました。彼は前章に引き続いて神の宮の前でひれ伏し、涙ながらに祈っていました。そもそも神の民が捕囚となったのは、ソロモン王以降外交政策として、同盟を結び、そのあかしとして外国の女性を王妃として迎えるという政略結婚が行われていました。そのことにより、次第に異教の神々を受け入れるようになり、世俗化していきました。生存と防衛の保証を真の主なる神によってではなく、偶像の神に求めるようになって行きました。それがイスラエルの歴史であり、南北王国とも亡国の憂き目の原因となったのです。
- バビロンの捕囚地において、主の民たちは次第に神のトーラーを知るようになり、それを愛し、それに従って歩むために、世代を越えて神を尋ね求めるようになりました。そうして神は彼らをバビロンからユダ、エルサレムへと帰還させて、20年かかりましたが第二神殿を完成しました。それから55年後にエズラはエルサレムへと帰還し、神のトーラーによる神の民を再建しようとしました。ところが、全体としての数は少ないのですが、すでに帰還した者たちの中に外国の妻をめとって、すでに子どもまでいるという状況がありました。驚くべきことに、その中には大祭司ヨシュアの子どもたちやレビといった者たちがその問題の張本人となっていたことが問題でした。
- 妻が外国人(異邦人)であるということは、信仰の継承がきわめて困難であることを意味します。ユダヤ人たちはバビロンおよびペルシアの支配下にあり、すでにエズラが帰還する前には、ユダヤ人絶滅の危機に遭遇しています(エステル記がそのことを詳しく記しています)。外国の支配下にあっても、彼らは神の選びの民としてのアイデンティティを持って生きることが求められました。律法では禁止されている異教の者との結婚は、その土台を根底からなし崩す重大な問題だったのです。
- ちなみに、ユダヤ教の教えによるとユダヤ人はユダヤ人としか結婚できません。ユダヤ教の定義によると、ユダヤ人とはユダヤ人の母親から生まれた者、または改宗した者ということになっています。
- エズラの時代、困難な問題と正面から向き合い、神のトーラーライフスタイルの樹立のために確固とした姿勢で彼らが直面している問題にどう臨むかは、彼らの将来の命運を決める重要な事柄でした。この章の問題は人間的な思いで「かわいそう」というような視点ではなく、ユダヤ人たちにとって、信仰的、かつ民族的死活問題であったことを理解しなければなりません。神の民の再建がどのようにして断行されたか、その経緯(いきさつ)を10章は記しています。
1. 神の民の再建の火ぶたが切られた
(1) 神の民の再建の改革は家庭から
- 神の民の再建のための改革の火ぶたが切られたのは、神の民たちが自発的に娶った異邦人の妻とその間に生まれた子どもに対して「離縁する」という取り組みでした。その改革は、ある家族にとって離別という痛みを伴うものでした。当然それに反対する者たちもいましたが、その数はごくわずかでした。全体の総意の前に屈するしかありませんでした。
- 離婚、離別はともかく、信仰の継承という課題は、主にある者にとっていつの時代においても重要であり、生涯における大事業だと信じます。
(2) 今なお望みがあるという信仰の姿勢
- 神に対する不信の罪を犯しはしましたが、「このことについては、イスラエルに、今なお望みがあります。今、私たちは神と契約を結んで、また他の人たちの勧告をも受け入れて、律法に従って、異邦の妻たちと、その子どもたちを追い出しましょう」とエズラに言う者が起こされました。
- 「今なお望みがある」とは、まだ決して遅くはないということです。そして問題解決の糸口が見えているということを意味します。具体的には以下の内容が含まれていると言えます。その糸口とは・・・
(1) イスラエルの民が不信の罪を悔い改めて、神の律法に従うなら
(2) 危機感を持ちつつ、神を恐れる人々の勧告がすでにあるので
(3) 改革を断行する霊的なリーダー(エズラのこと)がすでにいるので
- 指導者がその強力なリーダーシップを発揮するためには、その指導者に対して従順な者たちのフォロアーシップが不可欠です。それがここではみられます。それが4節です。
「立ち上ってください。このことはあなたの肩にかかっています。私たちはあなたに協力します。勇気を出して、実行してください。」
- 原文直訳では「立ち上ってください。なぜなら、この仕事はあなたの上にあるからです。私たちはあなたとともにいます。雄々しく、行なってください。」
- 「ダーヴァール」(דָּבָר)という名詞は、「ことば」「出来事」という意味の他に「仕事」という意味があるというのは、私にとって新発見でした。
2. 10章18節以降の名前のリストの意味
- 10章18節以降に名前のリストが掲げられています。これらの名前は律法違反をした者たちですが、痛みを伴いながらも、神の律法に従った人々として名前が記されています。このような人々によって新しいユダヤ教なるものが立ち上って行ったのでした。彼らは特別な業績をなしたのではありません。ただ悔い改めだだけです。しかし神は悔い改める者を喜ばれます。そして必ず祝福してくださるのです。その意味において、神ご自身はどこまても真実な方なのです。モーセ律法の祝福の条件は以下の通りです。
【新改訳改訂第3版】申命記30章2節
あなたの神、【主】に立ち返り、きょう、私があなたに命じるとおりに、あなたも、あなたの子どもたちも、心を尽くし、精神を尽くして御声に聞き従うなら、あなたの神、主は・・・
- 重要なことは、主に「立ち返る」(「シューヴשׁוּב)ことと、御声に「聞き従う」(「シャーマ」שָׁמַע)ことの二つです。
2013.10.23
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