****** キリスト教会は、ヘブル的ルーツとつぎ合わされることで回復し、完成します。******

第二次伝道旅行 (1) 新しい体制でのスタート

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23. 第二次伝道旅行 (1) 新しい体制でのスタート

【聖書箇所】 15章30節~16章5節

ベレーシート

  • エルサレム会議での決定事項を各教会に伝えるために、ユダとシラスが選ぶことを衆議一致しました。この二人は預言者の賜物をもっており、「多くのことばをもって兄弟たちを励まし、また力づけ」ました(15:32)。そして再び、彼らはエルサレムへ帰って行ったようですが、原典の異本では、34節として「しかし、シラスはそこにとどまることに決めた」とあるようです。エルサレムに帰ったのか、アンテオケにとどまったのか、その真意はともかくとして、シラス、別名シルワノは第二次伝道旅行のパートナーとしてパウロと同行する人物として、パウロに選られば指名された人です。パウロとシラスとの出会いは神からのプレゼントと考えることができます。どんな事業する場合でも、どんな人と一緒に仕事をするかはとても大きな問題なのです。

1. 第二次伝道旅行の発端と激しい意見の対立

  • 第一次伝道旅行のときには、バルナバとサウロが聖霊に遣わされる形でスタートしましたが、第二次伝道旅行の発端は、パウロがバルナバに先に福音を伝えた町々の兄弟たちを訪問して来よう」と言ったことから始まりました。ところが、そのときにこれまでには問題とならなかった事柄が発生し、バルナバとパウロとの間で「激しい反目となり」(新改訳)、「激論が起こり」(口語訳)、「意見が激しく衝突し」(新共同訳)たのです。「激しい反目」と訳されたギリシャ語は「パロクスースモス」παροξυσμόςで、新約聖書では他にヘブル書10章24節に使われています。本来はの語義は「刺激し合う」というもので、互いに意見をぶつけ合ったり、互いに励まし合ったりする意味で使われています。
  • 自分の信念をしっかりと持っている人は、異なる信念としばしば衝突することはあります。互いに強い信念や個性(賜物)を持っていなければそのような衝突は起こり得ません。ここの場合の衝突は、青年マルコを同行させるか否かで、双方の賜物の違いが顕著にされたように思います。ここではどちらが正解かではなく、バルナバとパウロの賜物の違いが意見の相違となって激しくぶつかったように思います。
  • ちなみに、青年マルコを使徒15章37節では「マルコとも呼ばれるヨハネ」と記しています。「マルコ」はギリシャ名で「ヨハネ」はヘブル名です。かなり裕福な家に育ったようです。またバルナバのいとこでもありました。
  • ところで、激しくぶつかることによって、はじめて双方の違いが理解できるようになります。こうしたぶつかりがやがて相手をよく理解する契機となるのです。ですから、ここでの「激しい反目」を決してマイナス的な出来事としてではなく、プラスの出来事として理解する必要があります。すでにエルサレム会議がもたれましたが、そこでも救いの問題について「激しい論争」(15:7)をすることで、それぞれの思いを理解する機会となり、結果的に合意を見出すこととなったのです。
  • キリスト教会には、バルナバのようにたとえ不十分な器であったとしてもどこまでも忍耐強く育てていこうとするコーチ的な賜物と、パウロのようにパイオニア的精神をもってどこまでも使命遂行を優先していこうとする賜物、どちらとも必要です。仕事のための困難さのゆえにかつては離れ、同行しなかったマルコと呼ばれるヨハネに対して、パウロは「いっしょに連れて行かないほうがよい」と考えましたが、パウロの最晩年には彼の成長ぶりを認めるようになりました(Ⅱテモテ4:11)。

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2. パウロの新たなパートナーであるシラスとテモテ

  • バルナバとパウロはそれぞれ別の路線を行くことになります。バルナバは自分の生まれ故郷であるキプロス島へマルコを連れて出発し、パウロはシラスを自分のパートナーとして選び、陸路でかつての伝道地に向かいました。
  • パウロはルステラで「テモテ」に出会います。第一次の時にはテモテがパウロが石打にあってもそこから立ち上がって町に入っていたことを見て知っていたかもしれません。しかし今回は、この二人が意識的に出会ったのです。テモテについての情報は聖書の中に多く記されています。
  • テモテは父をギリシャ人に持ち、母と祖母は敬虔なユダヤ人で幼い時から信仰教育、あるいは聖書教育された人物です。弟子たちの間でも「評判の良い人」であり、パウロのこれからの働き良きパートナーとして、パウロの愛弟子として、同労者として、あるいは霊的なパウロのと子としてのかかわりをもちつつ、パウロの生涯において絶えず寄り添った人物です。
  • ちなみに、「評判の良い人」とは、人から称賛され続けている人のことです。使徒の働きでは他に、ステパノやピリポのような七人の執事たち(7章)、およびパウロに按手したアナニヤ(9章)、そして百人隊長のコルネリオ(10章)がいます。彼らはこの世において評判の良かった者のことではなく、主の弟子たちの間において、あるいはユダヤ人たちの間においてでした。ですから、八方美人のような者ではなかったということです。神の前に、人一倍敬虔な、尊敬されるような存在であったようです。
  • 自分の大切な息子(孫)テモテをパウロに差し出した彼の母ユニケと祖母ロイス。彼女たちは自分たちを支えてくれるばずの大切なテモテをパウロにではなく、神にささげました。彼女たちは聖書の前面には出てきませんが、テモテに幼い時から聖書教育、信仰教育を施し、神から預かった人として育てたことは、十分に賞賛されるべきことと言えると思います。

2013.5.30


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