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第四のしもべの歌 (3)

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49. 第四のしもべの歌 (3)

【聖書箇所】53章4~6節

ベレーシート

  • イザヤ書53章4~7節は「神の恵みの福音」の真髄が預言されている箇所であり、イェシュアの十字架による代償的苦難と死を予告している重要な箇所です。これまでもこの箇所は何度も味わってきましたが、原語で味わってみる時、あらためて贖罪的苦難の意味を明確にさせられます。「主のしもべ」はここに来てはじめて、しもべの受難の目的が何であったのかを知ることができます。

【新改訳改訂第3版】イザヤ書53章4~6節

4 まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。
だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。
5 しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。
6 私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。しかし、【主】は、私たちのすべての咎を彼に負わせた。


1. 「主のしもべ」の自発的、主体的な受難

  • 4節だけを注目してみると、そこにある動詞はみな分詞で使われていますが、すべて能動態の分詞です。
    (1) 「彼は・・・私たちの病を負い」・・「私たちの病を負った者」
    (2) 「彼は・・私たちの痛みをになった」・・「私たちの痛みをになった者」
  • イザヤは罪を「病」(「ホリー」חֳלִי)としています。罪は病気なのです。罪は死をもたらす感染力の強い病であり、その病をいやすことができるのは神のみです。「痛み」(「マフオーヴ」מַכְאוֹב)は、罪がもたらす様々な悲しみや心痛を意味します。「病」も「痛み」もいずれも複数形です。それらを主のしもべは自ら「負い」、「になった」と預言的完了形で表わされています。「負う」という動詞は「ナーサー」(נָשָׂא)で、本来は、上げる、持ち上げるという意味ですが、これが罪を赦すという意味にもなります。「になう」と訳された「サーヴァル」(סָבַל)は旧約で9回使われていますが、そのうち5回がイザヤ書です。46章4節では「あなたがたがしらがになっても、わたしは背負う」とあり、53章11節でも、主のしもべは「彼ら(多くの人)の咎をになう」とあります。いずれも神の恩寵を表しています。しかしながら、偶像の神は、逆に人々に背負われる神です。
  • さて、ここで重要なことは、主のしもべが「自ら主体的に」人々の病を負い、痛みをになうことが記されてのが、四つの福音書の中ではヨハネだということです。また使徒ペテロも同様に、イェシュアの主体的な受難を以下のように記しています。

    【新改訳改訂第3版】ヨハネの福音書10章17~18節
    17 わたしが自分のいのちを再び得るために自分のいのちを捨てるからこそ、父はわたしを愛してくださいます。
    18 だれも、わたしからいのちを取った者はいません。わたしが自分からいのちを捨てるのです。わたしには、それを捨てる権威があり、それをもう一度得る権威があります。わたしはこの命令をわたしの父から受けたのです。」


    【新改訳改訂第3版】Ⅰペテロの手紙2章22~24節
    22 キリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りも見いだされませんでした。
    23 ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました。
    24 そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。

  • ところが、「私たち」はそのようには思わず、彼は神からの懲罰的苦難を受けたと考えたのです。ここに登場する「私たち」は53章1節にもある「私たち」のことです。それはイザヤを含めたすべての人間を含んでいる「私たち」と考えられます。その「私たち」の真相が6節で表現されています。そこには「私たち」がひとりの例外もなく、「羊のようにさまよい」「おのおの、自分かってな道に向かって行った」と記されています。羊のようにさまようとは、さまよった羊は決して自分の力で戻ってくることができないことを意味し、また「さまよう」とは「自分勝手な道に向かって行く」ことであり、同じ運命にあることを示唆しています。

2. 主のしもべの受難とその理由

【新改訳改訂第3版】イザヤ書53章5節前半
5 しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。

  • イザヤ書53章5節では、主のしもべの受ける苦難が決して「主のしもべ」自身ゆえのものではなく、あくまでも、「私たちのそむきの罪のために」、「私たちの咎のために」とあるように、代償的な(身代りの)苦難であり、そのために主のしもべは「刺し通され」「砕かれた」のです。そのいずれもが受動態的表現であることに注目しなければなりません。
  • 使徒ヨハネや使徒ペテロが理解しているイェシュアの苦難は積極的な苦難であるのに対し、共観福音書では受動的苦難、すなわち、受難を告知しています。

【新改訳改訂第3版】
●マタイの福音書16章21節
その時から、イエス・キリストは、ご自分がエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受け殺され、そして三日目によみがえらなければならないことを弟子たちに示し始められた。

●マルコの福音書8章31節
それから人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちに、捨てられ殺され、三日の後によみがえらなければならないと、弟子たちに教え始められた。

●ルカの福音書9章22節
「人の子は、必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちに捨てられ殺され、そして三日目によみがえらねばならないのです。」

  • ちなみにイザヤ書53章、5節の「そむきの罪」は「ペシァー」(פֶּשָׁע)で、神の律法の教えを破ることを意味します。「咎」は「アーヴォーン」(עָווֹן)で、本来は「ゆがむ」の意で「不義」とも訳されます。いすれも罪を表わす語彙で複数形です。ちなみに、単数形で表わされる罪の場合は「原罪」を現表わし、ヘブル語では「ハッター」(חַטָּא)を使います。
  • 文法的なことを少々説明すると、それぞれの名詞についている前置詞「ミン」(מִן)は、ここでは「~のため」「~のゆえに」という原因や理由を表わすのに使われています。この前置詞「ミン」に続く名詞に冠詞がついていない場合は、その名詞の文字「ヌン・ソフィート」(ן)が省略されます。神への違反行為、歪んだ思いと行為の罪の結果、罪を犯した者ではなく、代わりの者がその罪のゆえに「刺し通され」「砕かれた」のです。これが代償的贖罪、すなわち、「身代わりの死」です。「刺し通された」「砕かれた」(いずれも受動態)という語彙は、残虐、かつ苦痛に満ちた死を示しています。

3. 代償的贖罪(身代わりの死)がもたらしたもの

  • 6節に「主」は「主のしもべ」に「すべての咎を負わせた」とあります。ここですべての出来事の仕掛け人が「主」であることが明らかにされます。「主のしもべ」が自ら積極的に苦難を負うことも、また受難も、その背後に主のご計画があります。「主は、・・すべての咎を彼に負わせた」のです。
  • この「負わせる」という動詞は「パーガア」(פָּגַע)のヒフィル(使役)態ですが、本来は「会う、出会う、とりなしをする、着く、達する」という意味です。神のもとからさまよい出た者を、再び、神と出会わせるために、だれかがとりなし的な働きをすることを意味します。いみじくも、この「パーガア」は53章12節の最後に「彼は多くの人の罪を負い、そむいた人たちのためにとりなしをする」という訳で使われています。「罪を負う」の「負う」も「赦す」という意味。つまり、人間の犯した罪を負うことで、その罪が赦されるために、とりなしをする「主のしもべ」に焦点が当てられているのです。
  • 主はその働きをご自分のしもべに「負わせた」ということになります。しもべの側からすれば「負わせられた」ということになりますが、負わせる側もその務めには多大な苦難を伴うことを知った上で「負わせた」のです。主と「主のしもべ」のかかわりが愛と信頼で結ばれていなければこのことはできません。

(1) 「平安」(シャーローム)

  • しもべによる身代わりの苦難と死がもたらすのは、「平安」です。「平安」の原語は「シャーローム」(שָׁלוֹם)です。この語は神が人に与える祝福の総称です。神と人との間にある障害を取り除いた結果としてもたらされるものです。主との和解による結果としての祝福のすべてがこの一語(単数形)で言い表わされています。

(2) 「いやし」

  • しもべによる身代わりの苦難と死がもたらすのは、「いやし」です。「いやし」の原語は「ラーファー」(רָפָא)です。罪が病であるならば、罪から解放されることは「いやし」になります。この「ラーファー」が聖書で最初に使われているのは創世記20章17節ですが、そこでは、アブラハムが神に祈った(とりなした)ことで、「神はアビメレクとその妻、および、はしためたちをいやされたので、彼らはまた子を産むようになった」とあります。「とりなし」と「いやし」が結びつけられています。


2014.11.7


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