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第四のしもべの歌 (4)

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50. 第四のしもべの歌 (4)

【聖書箇所】53章7~9節

ベレーシート

  • 前段落(4~6節)において「主のしもべ」の代償的苦難と死が示されましたが、7~9節の段落においても、表現は異なりますが、再度そのテーマが語られます。
    7節「彼は痛めつけられた。」
    8節「しいたげと、さばきによって、彼は取り去られた。」
    8節「わたしの民のそむきの罪のために打たれ、生ける者の地から絶たれたことを。」
  • 9節「彼は暴虐を行わず、その口に欺きはなかったが」ーこの「が」は「~にもかかわらず」の意です。
  • 「主のしもべ」の苦難と死が、イェシュアの十字架の苦難と死を預言していることは言うまでもありませんが、それは新約聖書を読んだ者にしか分かりません。新約聖書を知らないユダヤ人たちは、この「しもべ」がイェシュア・ハマシーアッハ(イエスがメシアであること)が分からずにいます。神のしもべである御子イェシュアが受けた苦難と死は、常識的に考えるならば、きわめて悪質、かつ不当なものであり、死に至らせる刑罰は最も残酷なものでした。脚注 

1. 「主のしもべ」の黙従

  • 7節には、黙って従う「主のしもべ」の姿があります。それは苦難の中にあっても、一切「口を開かない」という表現で表されています。「口を開かない」という表現は、自分で自分を弁護しようとしないことです。一切の不当な扱いに対して抗議をしないことです。この黙従の中に、4節で見たように、しもべが自ら主体的に苦難を受ける姿があります。

2. 黙従は神への完全な信頼のあかし

  • ヘブル人への手紙5章8~9節には「キリストは御子であられるのに、お受けになった多くの苦しみによって従順を学び、完全な者とされ」とありますが、黙従は神への全き信頼と同義なのです。
  • 「主のしもべ」の「黙従」の様子を、「ほふり場に引かれて行く羊のように」、「毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように」と表現しています。「羊」とか「雌羊」とかの表現は神へのいけにえと関係があり、「主のしもべ」が受ける苦難と死は、そむきの罪と咎のための罪過としてのいけにえであることが示唆されています。神にささげられるいけにえは、完全なものでなければなりません。神への信頼という点において完璧でなければならなかったのです。

最後に、イザヤ書53章7~9節をうまく言い表した箇所があります。特に、太字の部分はキリストの「黙従」をうまく説明しています。

【新改訳改訂第3版】Ⅰペテロ2章22~25節

22 キリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りも見いだされませんでした。
23 ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました。
24 そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。
25 あなたがたは、羊のようにさまよっていましたが、今は、自分のたましいの牧者であり監督者である方のもとに帰ったのです。


脚注

「・・十字架とはどのような刑であったのか。その実態は長い間わからなかった。というのはキケロが『最も怖るべき、最も屈辱的な責苦、最高の奴隷の刑罰』と記し、シュタウファが『十字架刑は古代の裁判のもっとも凶悪な発明であり、人間が人間の悪魔的な所業によってこうむる最も苦痛の激しい拷問である』と評したこの刑が廃されてから長い歳月がたったからである。ところが、悪魔的な二十世紀はこれを実験してみた。それはナチによってダッハウの強制収容所でユダヤ人に対して実験的に行われたのである。・・・いわば非常に徐々に首をしめ、窒息の直前にやめ、また徐々に首をしめることを、本人に自動的にやらして死に至らせる処刑方法だが、古代のそれはナチの実験よりもさらに残酷であった。というのは手くび(手の甲ではない)は釘で打ちつけられているから、腕まげで身体を持ち上げようとすれば恐ろしく苦痛であり、足で持ち上げようとすればこれまた釘で打ちつけられている。さらに股のところに『角』といわれる木が出ているから、力つきてぐったりと下って急速に窒息しそうになると、この角が体を支えてまた息を吹きかえさす。これを何時間も何時間もなるべく長くづつけさせて、死の直前に何回も到らせる。そして最後に脛を折られると、力つきた身体は支えを失ってだらりと下がり完全に窒息死する。(福音書記者の)ヨハネによる『イエスと一緒に十字架につけられた第一の者ともう一人の者との脛を折った。しかしイエスのところに来て、すでに死んでおられるのを見ると、脛を折らずに、死をたしかめるために、一人の兵卒が槍でその脇腹を突いた』とあるのはこのことである。これを『十字架にかけて槍で突き刺す』と誤解しているらしい記述を見かけるが実態はそんな簡単な殺し方ではない。」

〔●山本七平著「禁忌(タブー)の聖書学」(新潮文庫、1992年、330~331頁)より抜粋。この文章は息子の山本良樹氏が父、七平が書いた『十字架への道』の中にある「死の苦しみ」から引用している文章です。〕


2014.11.8


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