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箴言の目的と対象、および「知恵」の周辺語彙

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箴言は「父から子への知恵」、主にある家庭教育の根幹を学ぶ最高のテキストです。

1. 箴言の目的と対象、および「知恵」の周辺語彙

ベレーシート

  • 「雅歌」でもそうであったように、「箴言」においてもその作者がソロモンという意味で理解せずとも良いと考えます。ソロモンはその名前の語幹であるשׁלםが持っている象徴的名称と理解するなら、「箴言」も神のご計画(ヴィジョン)の成就・完成という「御国」の視点からの教育的指南書、およびその型が「箴言」なのだと言えます。「ソロモンにまさるイェシュア」の生涯を見ると分かるように、イェシュアの教えは「箴言」に見られるようなたとえと比喩となぞを用いて御国の福音を人々に説いたのです。
  • 「幼子は成長し、強くなり、知恵に満ちていった。神の恵みがその上にあった」(ルカ2:40)とあるように、イェシュアの両親は神のトーラーに対して従順であり、息子のイェシュアに対して霊的な教育を施したと考えられます。その両親がエルサレム巡礼の時にイェシュアとはぐれた時、すでに12歳になっていた息子が宮で教師たちの真ん中にすわって、話を聞いたり質問したりしておられるのを見つけました。そして、イェシュアが語るのを聞いていた人々はみな、「イエスの知恵と答えに驚いていた」とあります(ルカ2:47)。「聞いて答える」という問答教育はユダヤの伝統的な教育法です。これはイェシュアが両親を越えたユダヤ教のラビたちと対等に話をしていたことを意味します。イェシュアの知恵がますます進んでいったことをルカは記しています(ルカ2:52)。
  • イェシュアが公生涯に入られてからの人々の印象は「驚き」で満ちています。なぜなら、その教えのことばに権威があったからです。教師であるラビが弟子たちに、あるいは、両親が子どもたちに教えてきた伝統的な教育法(格言や比喩、たとえやなぞ)をイェシュアも用いながら、御国の福音の奥義を人々に教えようとされたのです。


1. 箴言の教えの対象はだれなのか

  • 箴言はだれによって学ばれるべきなのでしょうか。その答えが箴言1章4節に記されています。それによれば、「わきまえない者」(「ペティー」פֶּתִי)、すなわち「若い者」(「ナアル」נַעַר)です。同義的並行法(パラレリズム)の修辞法によって、箴言の対象者は「わきまえのない若い者」なのです。「ペティー」は19回のうち15回が箴言で使われています。いわば箴言の特愛用語です。「わきまえのない者」(新改訳)の他に、「思慮のない者」(口語訳)「未熟な者」(新共同訳)とも訳されます。
  • 「若い者」とは、男の子で少年から青年を意味しますが、彼らを教育する側にいる者は、家庭生活においてはその両親(父親)であり、ユダヤの会堂であれば「ラビと言われる教師」、より大きなレベルでは「権威を与えられた者」(聖書がまだ正典とされていなかった時代においては「使徒」)と言えます。ちなみに、箴言には以下のように父性的存在から呼びかけられている箇所が数多く見られます。

    (1) 「わが子よ」=בְּנִי「ベニー」(1:8, 15/2:1/3:1, 14, 21/4:10,20/5:1/6:1, 3, 20/7:1/23:15, 19/24:13/27:11/31:2)。
    (2)「子どもたちよ」=בָנִים「ヴァーニーム」(4:1/5:7/7:24/8:32)。

  • 使徒パウロもテモテのことを「わが子」「愛する子」と呼んで(Ⅰテモテ1:2、Ⅱテモテ1:2/2:1)、彼を霊的な父親として彼に牧会的な指導をしています。
  • 箴言22章15節に「愚かさは子どもの心につながれている。懲らしめの杖がこれを断ち切る。」とあります。前半の「子ども」は「ナアル」(נַעַר)です。その子どもの心は「愚かさ」(「イヴェレット」אִוֶּלֶת)につながれていて、それを断ち切るためには「懲らしめの杖」が不可欠だとしています。なぜなら、子どもの心は決して純粋ではなく、むしろ「愚かさ」や「無知」でつながれているというのが子どもに対する聖書の見方です。ちなみに、「イヴェレット」(אִוֶּלֶת)は25回中23回が箴言で使われています。いわばこの語彙は箴言特愛用語です。ここを起点として、主にある教育を施そうとしているのです。

2. 箴言の目的

  • 箴言の目的が「ラーメド」(ל)の前置詞を用いた不定詞(=英語では「to+動詞」によって表わされます)によって1章2~6節に記されています。日本語訳はそれが省略されている場合があり、必ずしも明瞭ではありません。

(1) 「知恵と訓戒を学ぶため」(「ラーダアット」לָדַעַת)
(2) 「悟りのことばを理解するため」(「レハーヴィーン」לְהָבִין)
(3) 「正義と公義と公正と、思慮ある訓戒を体得するため(「ラーカハット」לָקַחַת)
(4)「(わきまえのない者に)分別を与えるため」(「ラーテーット」לָתֵת)
(5) 「知識と思慮を得させるため」(同上)
(6) 「箴言と、比喩と・・を理解するため」(「レハーヴィーン」לְהָבִין)


●上記では四つの目的が明確にされています。
「知恵と訓戒を学ぶため」
「悟りのことば、箴言、比喩、なぞを理解するため」
「正義と公義と公正と、思慮ある訓戒を体得するため」
「分別と知識と思慮を与えるため」

●特に「理解する」と訳された動詞の基本形は「ビーン」(בִּין)です。それは「よく注意し、よく考え、よく調べて、よく悟る」という意味にもつながって行きます。しかも「ビーン」の類語の「ベーン」(בֵּין)は、「・・の間、~と~の間」を意味する語彙ですが、その意味するところは、振り子が左右に振るように幅をもった理解の仕方です。つまり、ひとつの答えではなく、いくつかの答えが考えられるという理解の仕方なのです。

●1章5節では、上記にある箴言の目的が果たされることによって、知恵のある者(賢い者)とされた者はさらに理解力(説得力)を深め、悟りのあるとされた者(聡明な者)はより指導力が増し加えられると約束されています。使徒パウロが「ああ、神の知恵と知識との富は、何と底知れず深いことでしょう。」(ローマ11:33)と驚嘆の声を発したように、神の世界には限界がないのです。


3. 「知恵」を中心とした周辺の語彙とその訳語(全部ではありません)

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虹は七色の光から成っていますが、その境の色は重なっています。「知恵」に関する語彙も、その意味が必ずしも明確に分かれているのではなく、重なりあっている部分があるのです。

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2015.10.16


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