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終末に与えられる神の祝福


10. 終末に与えられる神の祝福

【聖書箇所】 10章1節~12節

ベレーシート

  • ゼカリヤ書10章には、終末において神の民(ユダとイスラエル)に与えられる祝福について預言されています。すべてが重要ですが、特に1節は重要です。

    【新改訳改訂第3版】10章1節
    後の雨(מַלְקוֹשׁ)の時に、【主】に(מָטָר)を求めよ。【主】はいなびかりを造り、大雨(מָטַר־גֶּשֶׁם)を人々に与え、野の草(עֵשֶׂב בַּשָׂדֶה)をすべての人に下さる。


1. 後の雨(マルコ―シュ)の季節に大雨を求めよ

  • 「後の雨」とは「春の雨」とも言い、収穫の前に降る大切な雨です。その前に降る雨を「冬の雨」とも言います。「後の雨」に対比する雨として「先の雨」があり、こちらは夏の干ばつで固くなった地を柔らかくするために降る雨で、「秋の雨」とも言います。これらはみな季節にかなって降る「祝福の雨」(エゼキエル34:26)です。

●ちなみに、「後の雨」(春の雨)のヘブル語は「マルコ―シュ」(מַלְקוֹשׁ)で3月から4月にかけて降る雨を意味します。使用頻度は8回(申命11:14、ヨブ29:23、箴言16:15、エレ3:3/5:24、ホセア6:3、ヨエル2:23、ゼカリヤ10:1)です。別名「終わりの雨」とも言います。これに対して、「先の雨」(秋の雨)のヘブル語は「ヨーレ」(יוֹרֶה)で、3回の使用です(申命11:14、エレミヤ5:24, 24)。10月の後半から12月の初め頃まで降る雨を意味します。別名「初めの雨」(「モーレ」מוֹרֶה)とも言います。

●エゼキエル書34章26節の「祝福の雨」は、「先の雨」と「後の雨」を含めたものを意味しますが、ヘブル語では「ギシュメー(גִּשְׁמֵי)・ヴェラーハー(בְרָכָה)」、英語では showers of blessing です。ここでの「祝福の雨」の「雨」は「ゲシェム」(גֶּשֶׁם)の複数形「ギシュメー」(גִּשְׁמֵי)ですが、この語が単独で使われても「大雨」と訳されます。ゼカリヤ書10章1節の「大雨」は「ゲシェム」です。

●「ゲシェム」(גֶּשֶׁם)は38回使われていますが、最初に出て来るのは創世記7章12節です。ノアの洪水のとき、天の水門が開かれて、大雨が40日40夜降ったとあるように、巨大な水の源がことごとく張り裂けて降った雨が「ゲシェム」です。そこでは神のさばきとしての「大雨」でしたが、ホセア書6章3節では祝福の雨として「大雨のように」「降り注ぐ雨のように」と表現されています。

●新約ではこの「大雨」を聖霊の傾注の象徴として用いられます。つまり、「雨」は聖霊の象徴なのです。

  • ゼカリヤ書10章1節の「雨」と訳されたヘブル語は「マータール」(מָטָר)で、旧約では38回使われています。「ゲシェム」と比べるならば量の少ない雨を、あるいは一般的な意味としての「雨」を意味します。「後の雨」が降る時に「雨」を求めるならば、主は稲光を造り、大雨を人々に与えるという約束が預言されています。

2. 終わりの日に注がれる聖霊の祝福の預言(聖霊降臨の祝福は二度ある)

  • ヨエル書 2章23節にもこうあります。

    シオンの子らよ。あなたがたの神、【主】にあって、楽しみ喜べ。主は、あなたがたを義とするために、初めの雨(「モーレ」מוֹרֶה))を賜り、大雨(「ゲシェム」(גֶּשֶׁם)を降らせ、前のように(=かつてのように、つまりノアの洪水の時のように)、初めの雨(「モーレ」מוֹרֶה)と後の雨(「マルコーシュ」(מַלְקוֹשׁ)とを降らせてくださるからだ。

  • 「初めの雨(秋の雨)」はすでに二千年前のペンテコステの時に降りました。しかし大収穫の「後の雨(春の雨)」はまだです。この雨が降るのは、大艱難時代の終わり頃です。この雨によって、イスラエルの残りの民は民族的に覚醒して救われ、その後にキリストが再臨され、メシア王国(千年王国)時代がやってきます。すでに主にあるクリスチャンたちは空中に携挙されていますが、ユダヤ人の民族的救いなしには異邦人クリスチャンの救いの完成もないのですから、無関心でいることはできません。
  • イスラエルの民(字義的にはユダヤ人)が民族的に神に立ち返って救われることとキリストの再臨とは密接な関係をもっています。私たちはその意味で、ヨエル書の言う「後の雨」が注がれることを祈り待ち望まなければなりません。またゼカリヤ書10章1節にあるように、「後の雨の時に、主に雨を求め」なければならないのです。なぜなら、主はイスラエルの民とイスラエルの地に大雨を降らせて、大いに祝福してくださるからです。「雨を求める」ということは、神と人がともに住むという究極的な神の国(御国)を求めることなのです。
  • 異邦人クリスチャンはユダヤ人に接ぎ木された存在であることを忘れてはならないのです。

3. 神の民の圧倒的な勝利(4~7節)

【新改訳改訂第3版】ゼカリヤ書10章
3 わたしの怒りは羊飼いたちに向かって燃える。わたしは雄やぎを罰しよう。万軍の【主】はご自分の群れであるユダの家を訪れ、彼らを戦場のすばらしい馬のようにされる。
4 この群れからかしら石が、この群れから鉄のくいが、この群れからいくさ弓が、この群れからすべての指揮者が、ともどもに出て来る。
5 道ばたの泥を踏みつける勇士のようになって、彼らは戦場で戦う。【主】が彼らとともにおられるからだ。馬に乗る者どもは恥を見る。
6 わたしはユダの家を強め、ヨセフの家を救う。わたしは彼らを連れ戻す。わたしが彼らをあわれむからだ。彼らは、わたしに捨てられなかった者のようになる。わたしが、彼らの神、【主】であり、彼らに答えるからだ。

ここには、キリストの地上再臨(神の訪れ)のことが預言されています。
(1)3節・・【主】がご自分の群れであるユダの家を訪れるということ。
(2)4節・・ユダから「かしら石」「鉄のくい」「いくさ弓」「すべての指揮者」が生み出るということ(すべて単数で、メシアを指す)。
(3)5~6節・・彼ら(ユダとエフライム)は勇士となって敵を踏みつけるために、【主】は彼らを連れ戻すということ。


2013.10.2


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