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絶えることのない霊的改革の戦い

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13. 絶えることのない霊的改革の戦い

【聖書箇所】 13章1節~31節

ベレーシート

  • エルサレムの城壁の奉献式が済んでから、ネヘミヤはしばらくペルシアの王のもとへ帰っていたようです。13章4節以降には、そのネヘミヤが12年ぶりに、再びエルサレムに帰ってからのことが記されています。ネヘミヤがエルサレムに戻った時、彼はいくつかの不詳事を発見しました。しかしそれは別々のことではなく、すべてが一つにつながっています。つまり、すべては問題はかつてソロモンが犯した罪、つまり「世俗化」です。それは聖なる神の目からは「汚れ」であり、それはいろいろな領域(礼拝、安息日、結婚)に伝染し、その結果として、神の民の「聖」が喪失していたことを意味します。この戦いにネヘミヤが祈りをもって改革を断行をしたことが13章に記されています。

1. 問題の核心

  • エルサレムに帰還した後の時代には、王制がなく、大祭司が民の指導者となっていきます。王制時代の王的リーダー役を大祭司が果たしていくことになりますが、それは王から大祭司に代っただけで、本質的な問題は依然と変わません。そのリーダー役である大祭司が神に頼らず、神以外のものに頼ろうとするとき、イスラエルは汚れていきます。その改革は決して容易ではありません。ネヘミヤ書の最後の章は、人間の深いところにある罪への傾斜、世俗化という問題について明らかにしていると言えます。
  • つまり、大祭司エルヤシャブはソロモンが犯した同じ罪を犯していたということです。それは、周囲と同盟関係を結ぶことによって和平を得ようとしたことです。その工作として、自分の孫とサヌバラテの娘(孫娘)を政略結婚させていました。ネヘミヤはこの関係を壊すために、大祭司の孫息子を遠くに追放したのでした(28節)。
  • 13章に記されているのは、すべてが、以下のように一つにつながっています。

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2. 汚れのきよめ

(1) 汚されてしまった礼拝の回復

  • エルサレムに帰還したネヘミヤが先ず目にしたのは、神の宮の責任をゆだねられている大祭司エルヤシブが、アモン人で役人のドビヤに神の宮の一室を貸していたという事実です。良い関係を結ぶために、神の宮の一室(大きな部屋)を貸し与えていたのでした。
  • トビヤはアラムの王のしもべ(役人)です。かつて、城壁の再建の際、それを妨害した人物です。その時の彼が語った辛辣な言葉が聖書に記されています。「彼らの建て直している城壁なら、一匹の狐が上っても、その石垣をくずしてしまうだろう。」と。このように、再建工事をしようとする者たちをあざけり、さげすんだ者に対して、ネヘミヤは再建工事を始める際にこう断言しました。「天の神ご自身が、私たちを成功させてくださる。だから、そのしもべである私たちは、再建にとりかかっているのだ。しかし、あなたがたにはエルサレムの中に何の分け前も、権利も、記念もないのだ。」と(2:20)。
  • 大祭司のエルヤシブとトビヤがなぜ親しい関係になったのか、そのことについては聖書は触れていません。ただ、トビヤのために神の宮の庭にある大きな部屋を一つあてがっていたのです。しかもその部屋は、かつて神殿で使われるささげ物や必要品、また神殿で仕える者たちのための奉納物が保管されていた部屋でした。
  • この事実は、周囲との和平のために、神への礼拝が疎かにされていたことを意味します。平和を得ることはできたかも知れませんか、神の民としての「聖」が犠牲となってしまいました。神の宮に仕えるレビ人たちはリストラされてしまったのです。
  • ネヘミヤは代表者たちに「どうして神の宮が見捨てられているのか。」と詰問し、レビ人たちを、もとの持ち場に戻らせています。そして大祭司エルヤシブによる管理を廃止して、より忠実な者たちに神の宮の宝物倉を管理させています。なぜ、ネヘミヤがそれほどの権威を有しているかと言えば、この時代のエルサレムの支配はペルシアの王であり、ネヘミヤはその献酌官という立場だけでなく、エルサレムの監督者として任命されていたからです。

(2) 汚されてしまった安息日の回復

  • 神の宮が汚され、礼拝が汚されたとすれば、当然、神の律法も汚されていきます。それらは連鎖する関係にあります。安息日を大切にせず、その日にも人々は神殿で売り買いをしていたのです。

(3) 汚されてしまった結婚の回復

  • 大祭司のエルシャブが神の律法に逆らい、政略結婚させていることを知った民たちは、当然、結婚においてもその例に倣います。神の民としての信仰を継承すべき戦いは失われ、そのために子どもたちは母親の国のことばを話すようになり、神のことばを理解することができないという事態にまでなっていたのです。ネヘミヤはそうした異教的な影響を一掃するために、かなり厳しい改革を断行しなければならなかったはずです。

3. 神の「聖」を取り戻す改革

  • ネヘミヤが取り組んだ神の「聖」を取り戻す改革はいつの時代にも起り得ます。その意味では、不断の戦いなのです。そして、その改革は人の努力や権威ではなすことができません。それゆえ、13章においてネヘミヤが祈った祈りにはきわめて重要な意義があると信じます。


2013.11.15


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