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総力戦 (「いつも、たえず、すべての」姿勢)

8. 総力戦 (「いつも、たえず、すべて」の姿勢)

【聖書箇所】 8章1節~35節

はじめに

  • 前章では敗北したアイに対して、主はヨシュアに戦うよう語りかけます。そして、その戦い方も指示しています。そしてヨシュアはその指示に従って行動しました。

【新改訳改訂第3版】8章1節、18節
1 【主】はヨシュアに仰せられた。「恐れてはならない。おののいてはならない。戦う民全部を連れてアイに攻め上れ。見よ。わたしはアイの王と、その民、その町、その地を、あなたの手に与えた。

18 そのとき、【主】はヨシュアに仰せられた。「手に持っている投げ槍をアイのほうに差し伸ばせ。わたしがアイをあなたの手に渡すから。」

  • 以下、8章から三つことを取りてみたいと思います。

1. 総力戦の戦い

  • 約束の地を自分たちのものとするためには、常に、総力戦が必要であるということです。約束の地に入って最初の戦いは総力戦でした。しかしすでに主はその町を与えてくださったので、その戦いはなんら犠牲を出すことなく勝利することができました。しかしこれは主が戦ってくださったので、イスラエルの民はその戦いの後始末をしたようなものです。
  • ところが、アイでの戦いは主の声を聞くこともなく、どこか自分たちの力でやれると追った所に落とし穴がありました。敗戦の原因はアカンが聖絶すべてきものを自分のために盗んだ罪でしたが、自分の力にどこか頼っていたイスラエルの民の罪でもあったと思われます。
  • 8章では「コル」(כָּל)という「すべて」(英語ではAll)を意味する語彙が多く見られます。「コル」(כָּל)は旧約では5520回使われる使用頻度の高い語彙です。ヘブル語のコンコルダンスではそのすべてが網羅されています。ちなみに、ヨシュア記ではこの語彙は全部で236回。ヨシュア記においてこの語が最も多く使われているのが10章で33回です。8章では20回です。他の章では10回前後です。
  • 8:1で主はヨシュアに「戦う民全部を連れてアイに攻め上れ」と主はヨシュアに指示しました。神が与えてくださったものを自分のためにする場合も、私たちは常に総力を上げてそれを取ることが求められています。なぜなら敵も総力を上げて戦いに出てくるからです。
  • 戦う場合だけでなく、神を愛することも、仕えることも、神を求めることもすべて総力戦なのです。「心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたがたの神である主を愛せよ」も然り。「神の国を熱心に求め続けなさい」と言われたイエスの言葉も然り、使徒パウロのいう「いつも、絶えず、すべて」も然りです。
  • 神から与えられているすべてのものによって、すべてのをこと、常に、絶えず、なすことが信仰者としての務めであることを教えられます。わずかな人数だから、小さな集会だから、といって力を抜くことは神の目によしとはされません。私たちは常に忠実に、最大限の力や知恵を用いながら、神と人とに仕えることが求められています。

2. 失敗を生かした作戦

  • 8章のアイとの戦いにおける戦術を見るなら、失敗の経験をむだにすることなく、それを生かした戦い方であったことが分かります。36人もの犠牲者を出してしまうという失敗を通して敵を戦い方を知り、それを生かしたのです
  • だれにでも失敗することはあります。しかし大切なことはその失敗を生かせるかどうかがそのあとの生き方を決めていきます。ヨシュアは敵の背後に伏兵を備えながら、逃げ出す戦術を取り、敵が逃げ出す自分たちを追いかけてくることで、伏兵が町を占領する作戦を取りました。その作戦はヨシュアが主から教えられたものでもあったと言えます。

2012.3.23


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