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聖なる国へ至る道

〔2〕ローマの支配時代におけるユダヤ人のパラダイム形成

3. 聖なる国へ至る道

  • しかし「聖なる国」となるためには、具体的にどんな方策を取るべきなのか。その点でユダヤの指導者の間に完全な一致はなかった。事実、イエスの時代には二つの主なアプローチがあった。ひとつは〔体制派の道〕であり、もうひとつは〔改革運動の道〕であった。
体制派改革運動派
サドカイ派改革派(熱心党)、エッセネ派、パリサイ派


(1) 体制派の道・・サドカイ派 

  • アンナスやカヤパといった祭司たちの特権階級がこれに属する。また保守的な宗教グループであったサドカイ派のメンバーもこの中にはいる。サドカイ派は、口伝ではなく文字で書かれた律法の書だけを規範として守った。パリサイ派とは違って、ラビたちの解釈などは受け入れなかった、さらにこれもパリサイ派とは違う点であるが、肉体の復活というような比較的新しい神学概念〔脚注7〕には、サドカイ派は見向きもしなかった。
  • 自分たちの国が直面している危機に対処するのに、体制派は独特のアプローチを採用した。彼らは社会に対する責任を重要視する現実主義者だった。サンヘドリンと呼ばれる最高法院(議会)を通して、ローマから許される限りの政治権力を、ユダヤ国家のために行使しようとした。たしかに、法と秩序の問題とか、徴税のことがらといった必要な場合は、彼らはローマと協力した。だがそれには彼らなりの理由があった。ユダヤ国家としての機能を最低限維持し、出来る限りの独立を勝ち取るため、というのである。さらに重要なことは、ユダヤ人の生活の宗教的な中心であったエルサレムの神殿礼拝を、何としても守らなければならないと彼らは考えたのである。ローマに対してできるだけ有利な交渉をする以外に、どんな道があっただろうか。何と言ってもローマは世界の超大国である。もしユダヤ人が反抗的であると分かれば、占領軍が「来て、われわれの神殿も国民も滅ぼしてしまうだろう」(ヨハネ11章48節)。国の「聖」は神殿の礼拝を守ることによって最もよく維持される、というのが体制派の者たちの確信だった。そしてそのためには、現実的でなければならないし、妥協することも致し方ないと考えた。

(2) 改革運動の道・・改革派(熱心党) エッセネ派 パリサイ派

  • もう一つのアプローチはユダヤ人の改革運動の道である。その道に属するのは改革派、エッセネ派、パリサイ派の三つである。彼らにとって体制派の立場は浅薄で無節操に見えた。
  • これら三つの改革運動には多くの共通点があった。彼らの時代の国家的危機に対処する方法として、彼らは律法を厳格に守るべきことを主張した。国家を改革するためには「聖」を中心に据えなければならない、というのがこの運動の立場である。「聖」とは分離を意味した。それは、けがれているすべてのものから離れることである。けがれは伝染しやすい。異邦人である占領軍と協力することは、儀式的なけがれを受けるばかりではなく、イスラエルの生き方を脅かすような文化の面の悪影響が流れ込んでいた。律法によれば、生活のすべての面で<聖なる国>であるべきであり、サドカイ派のように「聖」であることを目指す一つの特殊な場所である神殿を持つだけでは十分ではないと考えた。しかし国家としての「聖」という目標をどのように具体的に達成するかについては、彼らは一致できなかった。

① 改革派(熱心党) 

  • 彼らは明確なアプローチを持っていた。それは異邦人の占領軍を追放することなしに、国家的な<聖>はあり得ない、というのが彼らの確信であった。ユダ・マカベアの革命の後150年ほどの間に「律法に情熱を燃やす者、契約を固く守る者」のグループは、この戦略に沿って度々軍事行動を起こした。熱心党(ゼロテ党)は、紀元66年にユダヤ戦争がはじまるまでは、組織的な政治運動ではなかった。しかしイエスの時代全体を通して流れていたひとつの傾向が、彼らによって表現されたと言える。それは常に民衆の支持を得ていた。

② エッセネ派

  • 第二の改革運動であるエッセネ派は、国家的<聖>を実現するために、熱心党と同じくらい明確な戦略を持っていた。それはこの世からの完全な分離である。異邦人や罪人と肩を接して生きる者はだれであろうと、律法が要求する<聖>を自分のものにすることはできない、と彼らは感じた。そこで彼ら「全き<聖>の民」は、パレスチナの騒がしい日常生活から逃れて、死海のほとりの人里はなれた地、クムランに理想的な共同体を建設したのである。その場所で彼らは、他の不信のユダヤ人とは違う生き方をしたのである。財産を共有にし、律法の全体(成文と口伝)を守ることに努力を傾けたのである。
  • 聖なる「残りの民」として生きることによって、自分たちはユダヤの国全体のために生きているのだと、エッセネ派は信じたのである。神の土地を汚している国々に対して、最終的に神が行動を起こすときが来るまで、神に忠実でありつづけることを彼らは目標としたのである。そして神が行動を起こされるそのときには、それまでの非暴力の立場を捨てて、「聖」を成就するための戦いに参加して戦うと考えていた。                   

③ パリサイ派

  • パリサイ派、これは革命派やエッセネ派よりもよく知られていた改革運動である。教義と実践面で、パリサイ派の人々は他の運動のメンバーと共通するものを多く持っていた。ユダヤ人の国が持つべき目標は、彼らにとっても「聖」がその中心であった。パリサイ派という名前を用いたのはそれなりの理由があった。それはアラム語の方言で「分離した者」という意味である。だがその目標を達成するのに、彼らは独自な道を取ることを主張した。社会の中にとどまりつつ、社会から分離するのである。社会に留まったままで、どのように<聖>であることを達成することができるのか。それには二つの方法が強調された。
  • 一つは律法を守ることである。モーセ五書という「書かれた律法」だけではなく(サドカイ派はこれだけを権威とした)、ラビによる解釈の口伝えのものも守らなければならなかった。これらの口伝による解釈は「昔の人の言い伝え」(マタイ15章2節)は、書かれた律法のうち二つの面を特に強調した。一つには十分の一税が厳格に要求された。すべての収入は収穫の十分の一だけでなく、買ったもの、食べる物などあらゆるものの十分の一をささげなければならなかった。それらの品物を扱った者が正しくささげなかったかもしれないと恐れたからである。それに加えて、言い伝えによる解釈では、厳格な儀式上のきよめが要求された。けがれたものとの接触は一切禁じられた。実際にパリサイ派はそのメンバー(ほとんど平信徒)は、神殿の祭司と同じ「聖」の要求を守ることを期待したのである。たとえば、儀式として手を洗いきよめること、などである。
  • 律法を厳しく守るというパリサイ派のこの要求のほかに、二つ目の要求が加えられた。彼らは接触する人々を限定しなければならなかった。「世の国々」「神なき異邦人」との接触を避けなければならなかった。彼らは、異邦人を自分たちとは根本的に違うものと見、人間としての価値を軽く見るようになったのである。
  • また彼らは、同じユダヤ人の中の律法を厳格に守らない人との接触によっても儀式的なけがれを受けると考えた。その人たちをパリサイ派は「罪人」と呼んだ。そしてこのような「律法を知らない群衆・・呪われている」(ヨハネ7章49節)人々の数は当時、増える一方であった。この「罪人」たちが一世紀におけるパレスチナの人口の大部分を占めていたと思われる。〔脚注8〕
  • 彼らが律法を守ることができなかったのには多くの理由があった。しかし主要な理由は経済的なものであった。すでに見たように、一世紀のユダヤ人が払わなければならなかった税(宗教的なものとローマ帝国へのもの)は膨大なものであった。その両方を払うことができたのは、豊かな人たちだけである。多くの貧しい人々は、強制的ではなかった宗教税の方を滞納することによって、何とか生き延びることができた。さらに、収入についてだけでなく、物を買うときにさえも十分の一税を払うということは、かなりの重荷だった、特に、生活が苦しくて土地を手離す危険に遭遇している人にとっては、つらいことであった。そういうわけで、一世紀の時代が進むにつれて、ますます多くのユダヤ人は、パリサイ派の基準から見るならば、明白な律法違反者となっていった。パリサイ派はその人々を非難した。そのような罪人との接触を避け、決して一緒に食事をしようとはしなかったのである。



脚注7〕

  • BC167年のユダヤ民族の宗教的迫害によって、律法に厳格に従った伝統的な宗教生活を営もうとしたハシディーム(敬虔者)と呼ばれる多くの者たちが殺された。もしくは荒野への逃亡を余儀なくされた。このような逆境の中から、おそらくイスラエルで初めて明確な死者の復活の観念が生まれてきたことは、思想史的に見て極めて注目に値する。それは敬虔なる者の殉教という不条理を克服しようとする新しい信仰の芽生えであった。(山我哲雄・佐藤研共著「旧約新約聖書時代史―改訂版」(教文館、1997年、139頁)

脚注8〕

  • 「罪人」とか「律法を知らない群集」は「アム・ハーレツ」(地の民)と呼ばれる。バビロン捕囚後、この語は捕囚から帰還した民に対するユダヤ残留民を指すようになり(エズ4:4「地の民」)、その混血婚と異教主義への非難を含むようになった(エズ10:2,ネヘ10:30‐31)。ラビ文学においてもアム・ハアレツは不道徳、不敬虔、律法に無知な一般大衆としてとらえられ、軽蔑の対象となっている。パリサイ人はこれらの人々が言い伝えを守らないので反感を持っており(マルコ7:1‐5,ルカ11:38)、彼らの律法の無知をのろっている(ヨハネ7:49)。そしてガリラヤはそのような「地の民」の存在する中心地と考えられていた(マタ4:15)。しかしイエスは,この民と共に歩み,その友となられた(マタ9:13)。(新聖書辞典、いのちのことば社)

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