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聖戦と聖絶について

歴史書(1)の目次

ヨシュア記附記(2) 「聖戦と聖絶について」

  • 「聖戦と聖絶について」は、アラン・グライダーの『〈聖〉をめざす旅』からの引用ノート(92頁以降参照)。
  • 安全保障はイスラエルにとって主要な関心事とならざるを得なかった。エジプトから脱出するときは、武器といえるものはほとんど何も持っていなかった。約束の地に近づくにつれて、他の国々と遭遇することとなるが、その国々は当時の東洋の武器市場から購入した最新の武器で装備していた。イスラエルにとって安全は急を要する問題たった。
  • ではどのように対処するのか。出エジプト23章20~33節の中で、主はいくつかのヒントを与えている。「見よ、わたしはあなたの前に使いを遣わして、あなたを守らせ、わたしの備えた場所に導かせる。・・・わたしはあなたの敵に敵対する」と。主ご自身がイスラエルの敵に敵対して介入してくださるというのである。「わたしは彼らを絶やす」。その手段は耳を疑いたくなるようなものだった。「わたしは、あなたの前にわたしの恐れを送り、あなたの敵をすべて混乱に陥れる」「くまばち」(出23章28節)を戦場に送ることを主は約束されたが、これはエジプト脱出の奇蹟を思い起こさせたに違いない。そして民はどうするのか。自分は何もしないで、主の救いのみわざを具体的な恵みの贈り物として受け入れればよいのである。
  • 主はどのようにその民を守ってくださるのか。そのくわしい説明は申命記20章に記されているが、それが「聖戦」として知られる制度を確立するものだった。いったいどうして戦争が聖なるものであり得るのか。それを表わすヘブル語はヘレムであって、本来「献げられたもの」を意味する。ヘレムにおいては、敗北した敵とその所有物はすべて主に献げられるべきであった。実際の場面では、破門すること、さばくこと、完全に破壊することなどという意味で用いられた。聖戦は聖なる出来事であるので、「聖別」の行為をもって戦争の準備とする。この戦いに参加する人たちは、軍営を聖にしておかなければならない(申命記23章14節)。聖戦は宗教儀式としての行為であり、恵みをもって民を守る神に向かって、「規模の大きな、血による犠牲」を献げる儀式であった。
  • 聖なるできごとであるゆえに、聖戦は通常の戦争とは違うものとならざるを得ない。聖書の記事によれば、そこには主な(奇妙な)特徴が二つあった。
    (1) 信じられないほど破壊的であること
    (2) 戦いに従事するイスラエルがあくまでも弱くなければならないという主張
  • (1)の点について、すべての聖戦が同じだったわけではない。けれども、イスラエルの生活の中心に関わる戦いであればあるほど、大規模な殺戮が行なわれた。たとえば、遠く離れた町が包囲攻撃ののちに降伏したときは、イスラエルは男の住民だけを剣にかけることになっていた。女性と家畜と戦利品は自分たちの「分捕り品」として取っておいてよかった(申命記20章10~15節)。しかし約束の地の中にある町々の場合、破壊はもっと徹底的であった。「息のある者は、一人も生かしておいては」ならなかった(同、20章16節)。また文化的な産物も何一つ取っておいてはならなかった。それらは火にかけなければならない(例えば、ヨシュア記7章11節参照)。偶像礼拝に陥っていたイスラエルの町々もまた徹底的な破壊の対象とされた。その住民は一人残らず殺されなければならなかった。すべての家畜も同様だった。彼らの所有物はみな町の中央広場にうず高く積み上げられ、「あなたの神、ヤーウェに対する完全に燃やし尽くす献げもの」(申命記13章15~16節)として、町の中の他の物と一緒に火にかけられた。町の破壊は全面的なものでなければならなかった。住民と経済的な資源とそして文化の一切が破壊されたのである。
  • なぜこれほどの破壊が行なわれたのか。現代のイデオロギーはこのような残虐行為を決して正当化しないであろう。また、軍事上の観点からしてもこのような破壊は理屈に合わない。敗戦国の国民を治めるのは確かに厄介であるが、とはいえ勝利者は敵の経済資源は喜んで手に入れるはずである。そのような経済的利益を一切捨てるような戦いとはいったいどんな類の戦いなのだろうか。
  • それは聖なる戦いである。全面的な破壊性はまさにその特質の中心なのである。周囲の国々は抑圧を続け、偶像礼拝に陥っていた。そのために彼らは「(主に)敵対する国」となっていた。彼らの徹底的な破壊は神の刑罰を表現するものだった(民数記24章8節)。もっと重要なことは、イスラエルが「聖」を守れるようにするということであった。主の民が「聖」を失い、約束の地から追い払おうとしている「他のすべての国々のように」なってしまうのではないかという心配を、主は幾度も繰り返し述べられた。彼らがこの世のものと同じになることを、こうしてヤ-ウェは防ごうとされたのである。敵と文化を拭い去るように命じるのは、「彼らがその神々に行ってきた、あらゆるいとうべき行為をあなたたちに教えてそれを行なわせ・・ることのないためである」(申命記20章18節)と律法は語る。こうして、聖戦に伴う大規模な破壊は、世俗性が神の民を汚染することのないようにと、彼らを守る手段だったのである。聖戦とは彼らの「聖」を守る戦いだったのである。
  • (2)の点について、戦いに従事するイスラエルはあくまでも弱くなければならないという主張である。戦闘に参加するのにこれは何という変わったアプローチであろうか。戦いに赴くには兵力においてもまた火力・装備においても、少なくとも敵のそれに匹敵するものを持とうとするのが普通だが、聖戦はそれらを一切無視する。しかしこの途方もない戦い方が、まさに出エジプトの伝統に忠実な戦略そのものだった。申命記20章によれば、聖戦は次のようなアピールから始まることになっていた。
    「あなたが敵に向かって出陣するとき、馬と戦車、また味方より多数の軍勢を見ても恐れてはならない。」(1節)。
  • 兵力も武器も装備も敵より劣っていたイスラエルは、恐怖に襲われて当然のはずだった。けれども彼らは恐れてはならなかった。「あなたをエジプトの国から導き上られたあなた神、ヤ-ウェが共におられるからである」。人間の王ではなく、祭司が彼らを戦場に導くのだが、それは神なる王が再び行動を開始してくださることを彼らに思い起こさせるだろう。「主が共に進み、敵と戦って勝利を賜る」(申命記20章4節)。もちろんイスラエルの兵士たちも戦わなければならない。事実、彼らは大量殺戮に従事しなければならないかもないしれない。だが彼らの活動は二次的なものと言わなければならない。それに先立つ主の御業がある。決定的なのは主が驚くべき介入をしてくださることである。主が勝利者である。出エジプトと同じように、勝利は人間の働きではなく、主の具体的な恵みの結果として与えられる。そして主の民が国家として生存するためには、その恵みに応答して主に従い、主を信頼して生きなければならないのである。
  • 申命記20章の聖戦の規定は、このような主への信頼をただ奨励しただけではなく、意図的に弱い立場を取るという原則がそこでは確立されたのである。それによって、徹底的な神への依存が不可欠なものとされた(申命記20章5節)。戦闘が始まる前に「役人たち」は隊に向かってこういわなければならなかった。「新しい家を建てて、まだ奉献式を済ませていない者はいないか。その人は家に帰りなさい。万一、戦死して、ほかの者が奉献式するようなことにならないように。」
  • 新しくぶどう畑を作った者たち、また婚約してまだ結婚していない人たちも同様だった。その人たちは家に帰らせなさい。意味深いことには「恐れて心ひるんでいる者」にも、命じられた。その人たちは家に帰らせなさい。彼らの恐れが他の人々の間に広がるかしれないからである。こうして戦いにおもむくイスラエルはたいへん奇妙な行動を取ることになる。手に入れられる限りの兵力を得ようとして徴兵するのではない。イスラエルのリーダーはその軍隊が兵力において敵よりも劣っていることを確認しておかなければならない。
  • イスラエルはまた装備においても劣っていなければならなかった。申命記20章1節では、イスラエルの敵のほうが彼らよりも多くの兵力を持ち、かつ軍馬と戦車という優れた装備を持っていることが前提になっている。当時の近東の軍隊では強力な戦車が特別に恐れられていた。古代の機械化戦力として戦車を持った軍隊は、機動性と恐るべき殺傷力とを持っていた。ところが、イスラエルはその戦車を持ってはならないのである。ヨシュア記11章には、イスラエルがカナン中央部の王ヤビンの「浜辺の砂の数ほどの大軍・・・軍馬、戦車も非常に多い」軍と遭遇するさまが描かれている。その敵を目の前にして、出エジプトの神ヤ-ウェはいかにも独特の約束をなさった。「わたしは明日の今ごろ、彼らすべてをイスラエルに渡して殺させる」。しかし条件が一つあった。「あなたは彼らの馬の足の筋を切り、戦車を焼き払わなければならない」(ヨシュア記11章6節)。この点でもイスラエルは奇妙な行動を取ることになる。捕獲した敵の武器を次の戦いで用いるという軍事上の常識を持つ人は、ここではその常識を忘れなければならなかった。イスラエルは戦車を偶像と同じように、のろうべきものとして扱わなければならなかった。それらを火にかけて焼き尽くすべきなのである。
  • この劇的なやり方は、イスラエルの戦いの「聖」を示すのにふさわしいシンボルと言っていいだろう。それは異教徒の武器を破壊し、同時にイスラエルの「意図的な弱さ」を確実にした。イスラエルは自分たちの防衛のためにヤーウェ以外の何ものにも頼ってはならなかったからである。さもないと彼らは「わたしに向かって心がおごり、自分の手で救いを勝ち取ったというであろう」(士師記7章2節)。ヤーウェは軍事技術としては一風変わった手段を用いて、ご自分に従順な「愚かさを持つ人々」のために介入し、彼らを助けてくださる。
  • 民が敵から攻撃を受ける時はヤーウェが勝利してくださる「敵は一つの道から攻めてくるが、あなたの前に敗れて七つの道に逃げ去る」(申命記28章7節)。具体的な恵みの行為をもって、ヤーウェはイスラエルを「聖なる民」(申命記28章9節)として確立してくださる。だが果たして本当にそれは実現したのであろうか。
  • 戦いに関する律法の規定がイスラエルの生活に深い影響を与えたことは、これは疑いの余地がない。このことは約束の地を占領しようとする彼らの作戦行動の初めから明らかに見られた。たとえばカナンの町エリコを陥れたあと彼らは「町とその中のすべてのものを焼き払った」(ヨシュア記6章24節)。イスラエルのうちの一人がカナン人の衣服と貴金属をかすめ取って自分のものにしようとしたとき、ヤ-ウェは軍事的な介入を中断し、イスラエルの部隊は敗走することになった。「もしあなたたちの間から滅ぼし尽くすべきもの〔へレム〕を一掃しないなら、わたしは、もはやあなたたちの共にいない」(ヨシュアヤ7章12節)。そこで人々は犯人を見つけ出し、その男を石で打ち、彼が隠しておいた品物と共に男を火にかけた(ヨシュア7章)。このような破壊の行為によって、イスラエルの特長であるその「聖」が守られたのである。
  • 「意図的な弱さ」を持つイスラエルの民がヤーウェによって敵から守られたという物語も、聖書の記事の中におびただしく出てくる。この時期に行なわれたさまざまな戦いを思い出すといい。エリコの攻防で戦ったのは誰だったか。聖書によればそれはヤーウェであった。この方が建造物を破壊して勝利を収められたのである。エリコの城壁は崩れ落ちた。他の戦いの場合でも、ヤーウェの用いられた手段は物質的なものと奇蹟の結びついたものだった。たとえば病、うわさ、雷、雹、水かさを増す川の流れなどである。もちろんこのころには、戦いの場で人間の果たす役割があることもはっきりとしてきた。イスラエルは戦士として参加した。だが彼らの働きはあくまでも二次的なものだった。真の勝利者であられるヤーウェが敵対する者に打ち勝ったあと、イスラエルは後片付けの戦いをしたのである。
  • そのような奇妙なタイプの戦いの実例は多く記されているが、そのうちの二つを見ることにしよう。最初はイスラエルとその隣国ミデアンとの戦いである(士師記6~7章)。ヤーウェは民の指導者としてギデオンを召された。彼は信仰深いぶどうづくりで、戦死になる気持ちなどまったくなかった。だが一度主に召されると、律法の書に示されている通りの戦いをすることに決心した。ヤーウェの指示を受けて、ギデオンは申命記20章の規定を忠実に守った。まず恐怖にとらえられていた者たち2万2千人を家に帰らせた。だがまた1万人の兵士が残っていて、ヤーウェの目的達成のためにはそれは多過ぎた。そこでギデオンは男たちが川でどのように水を飲むかを観察し、その数を三百人まで減らした。そのうえでミデアンの大軍向かって行った(士師記6章5節)。イスラエルの兵士力は「劣っていて」ヤーウェの力を示すのに十分であった。民を敵から守るのはイスラエルの英雄ではなくヤーウェなのである。
  • イスラエルが戦場を携えて行った「武器」も変わっていた。ヤーウェの命を受けて彼らが配備したのは、角笛、こわれやすい水がめ、松明、そしてよく響く声だった。彼らが角笛を鳴らしたときにヤーウェご自身が介入した。「ヤーウェは、敵の陣営の至るところで、同士討ちを起こされた」(士師記7章22節)。そしてそのあとイスラエルはあわてふためく敵を追撃して、戦いに終止符を打った。
  • 二番目の例は、シセラに率いられたカナン軍に対するイスラエルの戦いである(士師記4~5章)。ミデアンの軍隊は強力な兵力を誇っていたが、カナン軍の場合ははるかに進歩した装備を持っていた。「鉄の戦車九百両を」(士師記4章3節)有したこの軍隊を、職業軍人が率いていた。それとは対照的に、イスラエルには戦車がなく、率いていたのは武器さえ持たない女性デボラだった。イスラエルの指揮官は心の弱いバラクという男だったが、これはデボラが彼の側にいることを約束したときにようやく戦場に行くことを承知した。彼女はまたバラクに前もって警告を与えた。イスラエルが勝利を得てもそれは彼に栄誉をもたらすものではない。勝利者はヤーウェだからである。「主は女の手にシセラを売り渡されるからです。」(士師記4章9節)。
  • 戦いが起こった。シセラは全ての戦車とその強力な軍勢を終結させて用意を整えた。だがヤーウェが介入なさった。キション川の水があふれ、土手が破られた。戦車の車輪が動かなくなり、シセラと兵士たちは徒歩で逃げなければならなかった。イスラエル軍はこの哀れな敵のあとを追った。その後、疲れ果てて寝込んでいたシセラは死んだ。バラクや他のイスラエルの英雄の手にかかったのではない。ヤエルという女性が彼のこめかみに天幕の釘を打ち込んだのである。イスラエルの勝利は力を持たない人たちの勝利だった。自分たちを守ってくださる方に信頼する勝利であった。

リスクを伴う現実的に事柄について、主を信頼するかどうかはまさに霊的な問題である

  • 神を信頼して生きる不安定な道はつねに困難な道なのである。厳しい現実に直面するときには特に困難となる。食糧が底をつくとき、敵の戦車の一隊が目の前にやって来たとき、果たして神を信頼するだけでいいのかという疑問が頭をかすめる。彼らの周囲の社会には神に信頼して生きることなど別に要求しない宗教が存在した。これもおなじような疑問をかきたてずにはいなかった。多くの場合、イスラエルは神を信頼して、その不便に耐えた。聖なる生活のパターンを続けた。しかし時としてそのイスラエルの確信は揺れた。ヤーウェが行動してくださったのに、その救いのストーリーを忘れた。ヤーウェが新しく介入して、彼らの一風変わった生き方の正しさを証明してくださるに違いないという期待を、持ちつづけることができなかった。その結果、彼らの信仰生活は変化してしまった。礼拝は誤まった方向に進むことになる。不平とつぶやき、そして偶像礼拝である。それはリスクのない未来を追い求めることであった。
    「(彼らは)繰り返し神を試み、イスラエルの聖なる方を傷つけ、御手の力を思わず、敵の手から贖われ日を思い起こさなかった。」(詩篇78篇41~42節)
  • 聖なる神を礼拝するとはどういうことか。それは、どれほど希望のないように見える状況の中にあっても、神だけが我々を守ってくださり、必要なものを備えてくださる方であると信じることである。

「あなたがたはチンの荒野にあるメリバテ・カデンの水のほとりで、イスラエルの人々のうちでわたしに背いた。イスラエルの人々のうちでわたしを聖なるものとして敬わなかったからである。」(申命記32章51節、口語訳)

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