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脱穀する牛にくつこを掛けること・・等

【補完15】 脱穀する牛にくつこを掛けること・・等


【聖書箇所】申命記 25章1~19節

ベレーシート

  • 申命記12~26章は、約束の地カナンにおいてイスラエルの民が生きるための指針(整え)が記されていますが、今回の25章では六つの項目について語られています。

1. むち打ちの刑について (1~3節)

  • 社会では人と人との間に多くの争いごとが起こります。イスラエルにおいては、死刑以外の場合、罪に応じた「罰金刑」、もしくは、「むち打ち刑」でした。正式な裁判で判決が出されて悪い者がむち打たれる場合は、その罪に応じた分だけむち打たれますが、その数は40回を越えないようにと定めています。その理由は、「その者が卑しめられる」ことを防止するためです。パウロはユダヤ人から39のむちを受けたことが五度、むちで打たれたことが三度あったと記しています(Ⅱコリント11:24~25)。後者の三度のうち1回が、ローマの役人によってなされたことが記されています(使徒16:22~23)。イェシュアもローマの法の下でむち打ちを受けられました(マタイ27:26、マルコ15:15、ヨハネ19:1)。ローマ法ではむち打ちの回数の制限はありませんでした。おそらくそのむち打ちはイェシュアを卑しめ、辱しめるほどのものでした。
  • ちなみに、聖書において「40」という数は、神の試練や試みの許容範囲の数です。ノアの時代の40日40夜の雨による洪水、またモーセの120歳におよぶ生涯においても、三つに区分されるそれぞれの40年間はその一つ一つが意味を持っています。またシナイ山ではモーセが断食をして神の律法を受け取るまでの期間も40日でした。そしてイェシュアも公生涯に入る前に、サタンの試みを受けるために荒野での40日間断食されました。モーセに命じられて族長たちがカナンの地を偵察した期間は40日でしたが、不信仰のゆえに、一日を1年として40年間、イスラエルの民は神のみことばの真実を学ぶために荒野の放浪を余儀なくされました。ニネベに与えられた悔い改めの期間も40日でした。イェシュアが死から復活された後、弟子たちに現われて神の国のことを語り、数多くの確かな証拠をもって、ご自分が生きていることを使徒たちに示されたのも、同じく40日間でした。

2. 脱穀をしている雄牛にくつこを掛けてはならない (4節)

くつこを掛けた牛.PNG
  • 「くつこを掛ける」とは何でしょうか。「くつこ」は「口籠」と書きますが、文字通り、雄牛が脱穀しているものを食べないように、口を閉じさせるためのものです。
  • この掟を人に適応すると、働く人が報酬を受けずに働くようなものです。働く人にはその働きに見合う当然の報酬を与えるべきだということです。
  • 後に、使徒パウロはこの箇所から次のように述べています。

    【新改訳改訂第3版】Ⅰテモテへの手紙5章17~18節
    17 よく指導の任に当たっている長老は、二重に尊敬を受けるにふさわしいとしなさい。みことばと教えのためにほねおっている長老は特にそうです。
    18 聖書に「穀物をこなしている牛に、くつこを掛けてはいけない」、また「働き手が報酬を受けることは当然である」と言われているからです。

  • 神がこのように教えておられるならば、主の働きに献身している者には、それに見合った報酬の保障を、神ご自身がしてくださるということです。献身者はこの信仰によって生きなければなりません。

3. 死んだ兄弟に対しての義務 (5~10節)

【新改訳改訂第3版】申命記25章5~6節
5 兄弟がいっしょに住んでいて、そのうちのひとりが死に、彼に子がない場合、死んだ者の妻は、家族以外のよそ者にとついではならない。その夫の兄弟がその女のところに、入り、これをめとって
妻とし、夫の兄弟としての義務を果たさなければならない。
6 そして彼女が産む初めの男の子に、死んだ兄弟の名を継がせ、その名がイスラエルから消し去られないようにしなければならない。


  • 上記の制度を「レヴィラート婚」とも言います。この義務の目的は、死んだ兄弟の名を継がせ、その名がイスラエルから消し去られないようにしなければならないというものです。しかし現実は難しかったようです。夫の兄弟としての義務を果たす者のことをゴーエール(買い戻しの権利を持つ者)と言いますが、その責任の大きい割には、自分にとって得するようなことは何もありません。買い戻した土地から収穫できるがすべて自分の所有とはならないからです。また残された妻をめとって子どもを得たとしても、それは死んだ兄弟の子孫ということになってしまうのです。また土地の権利もめとった家族の所有となるのです。ですからゴーエールとしての責任は兄弟や親戚に対する愛なしには、あるいは、神に従うという愛がなければとても履行できるものではなかったということです。
  • この義務を拒む者に対して、亡夫の妻は、公の場で、その者の足からくつを脱がせ、彼の顔につばきして、「兄弟の家を立てない男は、このようにされる。」と言わなければなりませんでした。

4. ふたりの者がつかみ合いの喧嘩をしたとき (11~12節)

  • ふたりの者がつかみ合いの喧嘩をして争ったとき、「一方の者の妻が近づき、自分の夫を、打つ者の手から救おうとして、その手を伸ばし、相手の隠しどころをつかんだ場合は、その女の手を切り落としなさい。容赦してはならない。」とあります。「手を切り落とす」という、一見、厳しい罰だと私たちは思いがちです。しかし、その罰が見合ったものであるとすれば、「相手の隠しどころ(=急所、性器)をつかむ」とは、単に「つかむ」ということではなく、男性の睾丸を強く握ってつぶすという意味ではないかと考えます。なぜなら、ここでの「隠しどころ」は複数形になっているからです。だとすれば、相手の男は生殖能力を失います。そのことに対する同態復讐法として、「手が切り落とされる」のだと考えられます。これは、死んだ者の名がイスラエルから消し去られないようにするという神の定めの意図と噛み合います。

5. 神は不正を忌みきらわれる (13~16節)

【新改訳改訂第3版】申命記25章13~16節
13 あなたは袋に大小異なる重り石を持っていてはならない。
14 あなたは家に大小異なる枡を持っていてはならない。
15 あなたは完全に正しい重り石を持ち、完全に正しい枡を持っていなければならない。あなたの神、【主】があなたに与えようとしておられる地で、あなたが長く生きるためである。
16 すべてこのようなことをなし、不正をする者を、あなたの神、【主】は忌みきらわれる。

  • 同様の掟がレビ記19章35~36節にもあります。大小異なる「重り石」や「枡」を持っていてはならないということは、例えば、買うときには大きい方を用い、売るときには小さい方を用いることによって、いつも自分の都合や利得を考える生き方を戒めています。このような不正は主が忌みきらうとしています。正しい秤とは、神の定めであり、神の基準によって生きること、すなわち主の律法に従って生きることを指し示しています。
  • そもそも人間はエデンの園で「善悪を知る知識の木」から取って食べるという罪を犯しました。それは神の基準による善悪ではなく、善悪の基準を自分の都合で判断してしまうことを意味していました。それゆえ、神は不正を行なうことを忌みきらわれるのです。

6. アマレクの聖絶の命令 (17~19節)

  • 「アマレク人」とは、ヤコブの兄エサウ長子エリファズのそばめの子孫です(創世記36:12)。彼らはカナンとエジプトの間にあるシェルの荒野、およびシナイ半島全体に住んでいたようです。イスラエルの民がエジプトを脱出した後にアマレク人が戦いを仕掛けてきました。その戦いの様子が出エジプト記17章8~13節に記されています。主はこのアマレク人に対して、「わたしはアマレクの記憶を天の下から完全に消し去ってしまう」(出17:14)と預言しました。その理由は、アマレクが「神を恐れることなく、道であなたを襲い、あなたが疲れて弱っているときに、あなたのうしろの落後者をみな、切り倒した」からです。Ⅰ歴代誌4章42~43節には、「・・彼らシメオン族のうち、五百人の人々が、・・セイル山に行った。そして、アマレクの残っていた者・・を打ち、そしてそこに住んだ。・・」と書かれています。


2017.11.14


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