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腐ってしまった亜麻布の帯

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16. 腐ってしまった亜麻布の帯

【聖書箇所】 13章1節~27節

ベレーシート

  • エレミヤ書13章の瞑想では、腰に占める亜麻布の帯が腐って無用のものとなったことを示す預言者的象徴行為と「ツァーラハ」(צָלַח)という動詞に込められた神の心を注目してみたいと思います。

1. 腰に占める亜麻布の帯

  • 亜麻布は本来、祭司が着る服に使われる材料です。主はその亜麻布で作られた帯を取り、ユーフラテスに行き、それを岩の割れ目に隠せとエレミヤに命じます。エレミヤは主の命令に従います。そして多くの日を経てから、再び、その帯を取り出すように命じました。エレミヤがそれを再び取り出した時、その帯は腐って、何の役にも立たなくなっていたのでした。この預言者的象徴行為の意味は何なのでしょうか。
  • そもそもこの象徴的行為は、人目を引くパフォーマンスによって、普通では理解しにくいことをあえてすることで、人々になんらかのメッセージに気づかせるという預言者的手法のようです。
  • 神の民イスラエルは、本来、祭司の王国として神に召された存在でした。「亜麻布が腐ってしまった」とは、本来のすべての国民に対する祭司的役割を担うべく神から期待された民が、今や、全くふさわしくない、何の役にも立たない無用(無益)の存在となってしまったことを表しています。主は、13章の10節と11節で次のように語っています。

「わたしのことばを聞こうともせず、自分たちのかたくなな心のままに歩み、ほかの神々に従って、それに仕え、それを拝むこの悪い民は、何の役にも立てないこの帯のようになる。なぜなら、帯が人の腰に結びつくように、わたしは、イスラエルの全家とユダの全家をわたしに結びつけた。―主の御告げーそれは、彼らがわたしの民となり、名となり、栄誉となり、栄えとなるためだったのに、彼らがわたしに聞き従わなかったからだ。」

  • 「帯」は二つのものを結びつける象徴です。ここでは神とイスラエル、およびユダの全家との結びつきを表す者が「帯」です。その「帯」が「腐って」しまい、何の役にも立たなってしまったことを神は心を痛めているのです。

2. 「ツァーラハ」צָלַחの持つ「かかわりの恩寵」

画像の説明

  • エレミヤ13章には、「何の役にも立たなくなった」という表現が7節と10節にあります。いずれも、神による「ツァーラハ」(צָלַח)が否定されているのです。本来は、神はご自身の民に対して、「ツァーラハ」の恵みを注ごうとしていたにもかかわらず、その恵みのすばらしさに気づくことなく、目も触れようともせずに、自分たちを奴隷の身分から救い出して、約束の地カナンを与えた主であることを忘れたのです。それゆえ、神はもう一度、彼らに与えたものを打ち壊して、再度、「ツァーラハ」(צָלַח)の恵みに立たせようとしたのです。それがバビロン捕囚という出来事でした。
  • 有名な詩篇1篇の原文は「幸いなことよ。その人は」(アシュレー・ハーイッシュ)で始まります。そして「幸いな人とはどんな人かを説明しています。「・・・でない人」という消極的表現と「・・・のような人」という積極的表現を用いながら説明しています。積極的表現をよく観察するなら、エレミヤ書で語られている神の民の姿とは全く反対です。そこには「主の教えを喜びとし、昼も夜もその教えを口ずさむ」人が語られているからです。このような人を再び造り出すために、神は痛みを伴うほどの大きな決断をされました。それが70年に渡る「バビロンでの捕囚経験」です。神の民(ユダの民)はそこで二代、三代かけて練り直されたのです。時をかけて、神による再建(回復、復興)がなされたのです。すべてを失ったところから、まさにゼロから神の民を回復させようとしたのです。これが「将来と希望を与えるための計画」でした(エレミヤ29章11節)。詩篇1篇3節には、その姿を「川のほとりに植えられた木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない」と表現し、しかも「その人は、何をしても栄える」という驚くべき祝福を証ししています。「何をしても栄える」祝福、それこそが「ツァーラハ」צָלַחの恵みなのです。
  • エレミヤ13章に記されている「何の役にも立たなくなってしまった」存在を、神はやがて「なにをしても栄える」存在へと回復させるのです。それは、実に、50年以上の歳月をかけた神の取り組みでした。何と息の長い取り組みでしょうか。そのプロセスの中に神の民を「ツァーラハ」しようとする神の熱意が貫かれているのです。

  • 聖書の中には、神の「ツァーラハ」צָלַחの恵みを受けて、成功した神のしもべたちがいます。

(1) アブラハムの全財産を管理していた最年長のしもべエリエゼル

彼はイサクの妻となったリべカを見つけ出した。
創世記24章21, 40, 42, 56節にある「ツァーラハ」を参照。

(2) 主がともにおられたことで「幸運な人となった」ヨセフ

創世記39章2, 3, 23節にある「ツァーラハ」を参照。

(3) エルサレムの城壁を再建したネヘミヤ

ネヘミヤ記1章11節、2章20節にある「ツァーラハ」を参照。

(4) 主のみこころを成し遂げた主のしもべ

イザヤ書53章にある「主のしもべ」はやがて登場する神の御子イエス・キリストです。10節にある「ツァーラハ」を参照。


  • 「ツァーラハ」にはもう一つの意味があります。それは主の霊などが「激しく下る」という意味です。
    士師記14:6, 19/15:14/サムエル上10:6, 10/11:6/16:13/18:10/サムエル下19:17/アモス5:6 を参照。ここには主の霊が激しく下り、特別な力を与えられて神の働きをした人々がいます。サムソン、サウル、ダビデがそうです。

2013.2.12


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