****** 教会は、ヘブル的ルーツとつぎ合わされることで回復し、完成します。******

自分から進んでエルサレムに住もうとした人々

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11. 自分から進んでエルサレムに住もうとした人々

【聖書箇所】 11章1節~39節

ベレーシート

  • ネヘミヤ記11章で特筆すべきは、11章2節のみことばです。イスラエルの民の代表者たちはエルサレムに住んでいましたが、この町が「聖なる都」として、神を礼拝するところとして機能していくためには、エルサレムに住む者たちがどうしても必要でした。少なくとも、神の律法によれば、年三回の主の例祭は義務付けられ、すべての成人のユダヤ人はエルサレムに集まらなければなりませんでした。したがって、多くの献身的な働きをしてくれる人々が必要だったのです。
  • 大きなイベントが催される場合、単に、実行委員会のメンバーたちだけでできるはずがありません。多くのスタッフが必要となります。一回限りのイベントでさえそうですから、それか国家規模の継続していく宗教イベントともなれば、なおさら、それに対応できる人材が必要です。また、エルサレムに住むことはある意味で危険性がありました。それを裏付けているのが、6節にある「勇士(勇敢な人々)、468名」の存在です。

1. 義務的に、また、自ら進んでエルサレムに住む人々

  • エルサレムに住む者たちは、全体の益のために、その働き人がユダ族とベニヤミン族から分担されました(尤も、この二つの部族しかないのですが・・)。10人のうち1人がエルサレムに住むためにくじ引きで決められたようです。

(1) ユダ族1(11:3~6節)ー468人
(2) ベニヤミン族(11:7~9節)ー928人
(3) エルサレム在住の祭司たち(11:10~14節).ー822人、その同族242人
(4) エルサレム在住のレビ人(11:15~18節)・ー284人、同僚の門衛282人

合計は、3026人


  • 11章1~2節にあるみことばを見てみましょう。

    【新改訳改訂第3版】

    1 民のつかさたちはエルサレムに住んでいたが、ほかの民は、くじを引いて、十人のうちからひとりずつ、聖なる都エルサレムに来て住むようにし、あとの九人をほかの町々に住まわせた。
    2 すると民は、自分から進んでエルサレムに住もうとする人々をみな、祝福した

画像の説明
  • 「自ら進み出て」「自ら進んで」と訳されたヘブル語動詞は「ナーダヴ」の強意形「ヒットパエル態」です。神の民はすべて神に仕える者でなければなりませんが、そうした中にも、とりわけ義務ではなく、自ら進んで自分を神の栄光のためにささげる者たちがいるのです。今日の教会においても、そうした人々たちの働きが教会の働きをより円滑にしていくことができるからです。
  • ここで重要なことは、「自ら進んでエルサレムに住もうとした者」を人々が祝福したということです。こうしたかかわりが神の共同体には必要なのです。
  • 「ナーダブ」は使用頻度は21回です。幕屋の建造においても、またソロモンの神殿においても、その材料は、自ら進んでささげられた物でした(出25:2, 35:21, 29/Ⅰ歴代誌29章5, 6, 9, 14, 17, 17節)。また、エズラ記での第二神殿の折にも、同じようにして人々は自ら進んて神の宮のためにささげものをしたのでした(エズラ1:6/2:68/3:5/7:13, 15, 16, 16)。

2. 自ら進んでささげる礼拝

  • 主あるクリスチャンにとって最も重要なことは、礼拝が、義務的になっていないかということです。あるいは習慣的にささげられていないかということです。賛美の曲に、以下のような内容のものかせあります。比較的最初の賛美で用いられますが・・

感謝と賛美を携え 主の御前に進み
感謝と賛美を携え 喜び叫ぼう
栄光と誉れ、力は主にあれ
ジーザス すべてにまさる御名

  • 今日の教会では動物のいけにえはありませんが、口びる果実である賛美と感謝のいけにえを主にささげられなければなりません。そのいけにえの価値は、常に、自発的、主体的であればあるほど高められます。賛美のみならず、すべての神への奉仕も、親しい主との交わりも、みな進んでなされることが重要なのです。

2013.11.12


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