見よ。わたしはあなたに立ち向かう
聖書を横に読むの目次
4. 見よ。わたしはあなたに立ち向かう
雄獅子は王のシンボル
ベレーシート
1. 雄獅子の住みかはどこにあるのか
- アッシリヤの彫刻には誇り高い力を象徴する牛や獅子が描かれているものが多いようです。特に、獅子が獲物を襲う姿は、まさにアッシリヤが他国にした姿と重なります。それは勇猛さを通り越して、残忍さをむき出した姿です。アッシリヤは敵地を攻略して分捕り物を略奪するだけでなく、その地の人々の皮膚を剥ぎ、耳をそぎ、目をえぐり、捕囚の地に引いて行きました。そうしたアッシリヤの罪に対して、神がさばきをなされるのです。もはや獅子ではなく、自分自身が餌食となってしまうのです(13節)。
【新改訳改訂第3版】ナホム書2章11〜12節
11 雄獅子の住みかはどこにあるのか。それは若い獅子のためのほら穴。雄獅子が出歩くとき、雌獅子と子獅子はそこにいるが、だれも脅かす者はない。
12 雄獅子は子獅子のために、十分な獲物を引き裂き、雌獅子のためにかみ殺し、そのほら穴を、獲物で、その巣を、引き裂いた物で満たした。
- 11節後半に「雄獅子が出歩くとき、雌獅子と子獅子はそこにいるが、だれも脅かす者はない。」とあるように、ニネベには絶対的な安心がありました。しかし、その「雄獅子の住みかはどこにあるのか」とナハムは嘲笑っています。なぜなら、雄獅子はこれまで獲物をもってほら穴を満たしたのですが、その獲物が「断たれる」からです。
2. 見よ。わたしはあなたに立ち向かう
【新改訳改訂第3版】ナホム書2章13節
見よ。わたしはあなたに立ち向かう。──万軍の【主】の御告げ──わたしはあなたの戦車を燃やして煙とする。剣はあなたの若い獅子を食い尽くす。わたしはあなたの獲物を地から絶やす。あなたの使者たちの声はもう聞かれない。
- 「見よ。わたしはあなたに立ち向かう」は、以下のようにわずか二つの語彙から成っています。これは3章5節にも登場します。
原文には動詞はありません。直訳的には「見よ、わたしは、あなたに」
- 主ご自身が獅子アッシリヤに立ち向かい、彼らが得た獲物を地から「絶やす」と宣言しています。
- 「絶やす」「断ち滅ぼされる」と訳された原語は動詞「カーラット」(כָּרַת)の受動態です。ナホム書では3回使われています。1章14節の「断ち滅ぼす」、1章15節(=2:1)の「断ち滅ぼされた」、そして2章13節の「絶やす」です。これらはいずれもアッシリヤに対して語られている言葉ですが、その「断ち滅ぼされる」理由は、彼らが「よこしまな者」(=ベリアル)だからです。
- 「カーラット」(כָּרַת)される象徴的な表現として「あなたの使者たちの声は(二度と)聞かれない」とあります。それはアッシリヤの王の命令を遂行するための指揮系統が完全に崩壊し、断たれてしまう(預言的完了形)ことを意味します。
- 「見よ、わたしはあなたに立ち向かう」とは神の敵に対しては決定的な「滅び」の言葉ですが、裏を返せば、それは神の民に対しては、「わたしはあなたとともにいる」という神の約束なのです。
●他に、出エジプト記3章12節、イザヤ書43章5節、エレミヤ書1章8節, 19節、15章20節を参照。
- 「わたしはあなたとともにいる」との約束は、使徒パウロが「神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。」(ローマ8:31)と述べているように、私たちを圧倒的な勝利者とします。だれを自分の生涯の味方とするかはきわめて重要な問題です。神を敵に回して圧倒的な勝利の保障はあり得ません。
2015.6.6
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