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見よ。兄弟たちが一つとなって共に住む

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17. 見よ。兄弟たちが一つとなって共に住む

【聖書箇所】 詩篇133章1節

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【読み】
「ヒンネー マー トーヴ ウーマ(ン)ナイーム シェヴェタ ーム ム 
ヤー

【文法】
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「見よ」と呼びかけているのは「人称なき存在」の声です。

【翻訳】

【新改訳改訂3】
見よ。兄弟たちが一つになって共に住むことは、なんというしあわせ、なんという楽しさであろう。
【口語訳】
見よ、兄弟が和合して共におるのは/いかに麗しく楽しいことであろう。
【新共同訳】
Psa 133:1
見よ、兄弟が共に座っている。なんという恵み、なんという喜び。
【バルバロ訳】
見よ、何とうつくしいこと、快いことか!
兄弟のように共に住むことは。
【NKJV】
Behold, how good and how pleasant it is For brethren to dwell together in unity !

【瞑想】

詩133篇は、主にある共同体における一致の祝福(シャロームの祝福)が描かれています。キリストにあって、すべてが「一つになること」は神の夢そのものです。御父と御子が一つであるように、主にある兄弟姉妹たちが一つとなること、「共に住むこと」は、初代教会において実現しました。そこには麗しい一致が見られました(使徒の働き2章参照)。

「一つとなること」、それは愛の交わりです。画一的な一致ではなく、それぞれが個性を持つことを許された、多様性をもった相互依存という一致です。詩133篇ではこの一致を「なんというしあわせ、なんという楽しさであろう。」と、この上ないリアリィティに溢れた祝福としています。しかも、それは「ひげから衣の裾にまで流れしたたる」末広がりの祝福です。あるいは、「ヘルモンの露にも似た」豊かないのちの水によって多くの実が結実する祝福としています。

しかし、福音がユダヤ人から異邦人に広がり始めたとき、この一致は崩れていきます。ユダヤ人と異邦人の間に立ちはだかる「隔ての壁」は、私たちの人間の罪性がもたらす根深い問題のルーツと言えます。使徒パウロはこの一致のヴィジョンをエペソの教会に宛てた手紙の中で「平和の絆で結ばれて、御霊の一致を保ちなさい。」と勧めていますが、キリスト教の歴史を学ぶならば、自分こそ正しいとする人間の罪性によって一致することの難しさを感じさせられます。にもかかわらず、必ず実現するキリストにある一致のヴィジョンを、決して忘れることなく、求める者でありたいと思います。

【付記】
「ヒンネー・マー・トーヴ・ウー・マー・ナイーム」 ⇒楽譜

2013.3.3


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