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詩篇における修辞的表現について

序(1) 詩篇における修辞的表現法について


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  • 詩篇の中で用いられている修辞的表現法を知ることは、詩篇を味わう上でとても大切です。修辞的表現法とは文章に豊かな表現を与える技法であり、ギリシャ・ローマ時代においては、それ自体が『修辞学』という学問の対象となっていました。
  • 詩篇のみならず、聖書全体が修辞的表現法で満ちています。一つの語句からはじまって、大きな出来事にいたるまで、その領域は広範に及びます。たとえば、イスラエルの歴史における出エジプトの出来事は、それ自体が、やがてイエス・キリストによる救いのたとえ(型、予表、類似)でもあります。
  • イエス・キリストは修辞的表現法を駆使しながら、神の国についてのリアリティを語ろうとされました。イエス・キリストはある意味で修辞学の天才です。人々はその真意をなかなか理解することができませんでした。
  • 聖書における修辞的表現法を理解することは、聖書のメッセージを理解するうえでとても重要です。しかし、聖書の修辞的表現は中近東の地理的・文化的背景をもっているため、その辺りの理解が必要となることは言うまでもありません。
  • 「詩篇における修辞的表現法」では、比喩を用いたものを取り上げてみたいと思います。

1. アナロジー(類比)Analogy

ある事柄やかかわりを別の事物のイメージで類推する修辞法です。
たとえば、詩23篇の前半では、羊飼い(牧者)と羊という類比を用いて神と私たちとの関係を
表現しています。また同じ詩23篇の後半では、客と客を招く主人という類比によって、
私たちをもてなす神の歓迎を簡潔に表現しています。

他にも、聖書では、主なる神と教会(私たち)のかかわりを、「土台と建物」、「ぶどうの木とその枝」、「花婿と花嫁」、「陶器師と陶器」、「主人としもべ」というかかわりの類比によって表現しています。

2. メタファー (隠喩)Metaphor

これは「AはBである」という形式で比喩を表現する修辞法です。
特に、これは信仰告白的表現として用いられています。たとえば、「神なる主は太陽です。盾です。」(詩篇84篇11節)。他にも、「神は(主は)私の○○」という表現もこれに当ります。「主は、私のとりで」「主は、私の避け所、隠れ場、助け、力、望み、栄光、恵み、泉、光、ほめ歌」・・などです。これらの表現は多分に暗示的です。

3. シミリー (直喩)Simile

「・・・のようだ」という類似性を用いた修辞法です。たとえば、「その人は、水路に植わった木のようだ。」続く「悪者は、風が吹き飛ばすもみがらのようだ」(詩1篇3, 4節)も同様です。

詩42篇1節の「鹿が谷川の流れを慕いあえぐように、私のたましいはあなたを慕いあえぎます。」も同様に直喩です。

4. メトニミー (喚喩)Metonymy

表現する事柄をそれと関係の深い付属物などで代用して表現する修辞法です。たとえば、「エルサレム」と言えば、「神の都」あるいは「聖所」のことであり、「シオン」と言えば、「エルサレム」のことを指します。「エルサレム」「シオン」「神の都」「聖所」「聖なる山」はすべて同義です。

他の例としては、「御翼の陰で、私は喜びます。・・あなたの右の手は、私を支えます。」(詩63篇7, 8節)とあるように、「御翼」「あなたの右の手」は、覆いとなってくださる神の保護を象徴しています。

5. シネクドキ (提喩)Synecdoche

一部で全体を、あるいは全体で一部をたとえて表現する修辞法です。たとえば、「欺きの舌よ。おまえはあらゆるごまかしのことばを愛している。」(詩52篇4節)にある「舌」とは、それをそのように用いるすべての者たちを表わしています。

  • 以上は、修辞的表現の一部にすぎません。
    詩篇におけるもっと大切な修辞法に「並行法」(パラレリズム)というのがありますが、これについては別項で扱いたいと思います。

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