詩篇に共通する「信仰告白」に注目すること
12. 詩篇に共通する「信仰告白」に注目すること
(1)
- 詩篇に共通する要素があるとすれば、それは「信仰告白」です。つまり、神が自分にとってどのようなお方であるのかという告白です。ちまたで言う「私はあなたが好きです」という一方的な告白ではありません。詩篇には、神は「・・・の方」という表現形式や、「神は、私の・・・・」という表現形式をとった告白が数多くあります。それらはみな、実際に神をそのような方として経験したからです。
- 私たちは自分の語ることばによって支配されます。失敗について語れば失敗に束縛され、心配を口にするなら心配に心が捕らわれてしまいます。つぶやきを口にしている者が心に平安を与えられることはありません。口で語ること、口で告白することは、私たちの生き方に大きな影響を与えているのです。
- したがって、詩篇を瞑想するとき、その詩篇の作者が置かれた状況の中で神をどのように告白しているかに注目することはとても重要なことだと考えます。
(2)
- 信仰告白、つまり、神は自分にとってどのようなお方であるかということを口で告白することは、私たちが思っている以上に大きな影響を与えます。嘆きの詩篇では、信仰の告白がしばしば勝利をもたらす転換点となっています。賛美の詩篇では、それが神の臨在をより強いものとしています。私たちが教会で歌う賛美の中にもそうした告白が歌われます。
- かつて私はあることで信仰の危機を感じたことがありました。自分の惨めさのゆえに希望を持てないで苦しんでいた時がありました。そんな時、ある歌を歌いながら神の慰めの力を感じたのです。その歌とは力強い神への告白を歌っているものでした。
主は道を日々造られる
何もないように思えるときでも
主は御手で 御許で支え
新しい明日を 主は道を造られる天と地が滅び失せても
主のみことば 滅びず
荒野に道を 砂漠に川を
今日も造られる
- 私たちが詩篇を瞑想していく上で、詩篇の作者が置かれた嘆きの状況の中で、神をどのように告白しているかに注目することはとても大切なことだと考えます。神のみこころは、私たちがさまざまな問題や心配事に取り囲まれたとしても、神が与えてくださる安息(シャローム)を経験することです。詩篇を瞑想しながら、詩篇の作者と連帯して同じ告白に導かれるなら、そのとき、あなたは詩篇の力に魅了されるに違いありません。