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詩篇102篇に見るメシア

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詩篇は、神と私たちの生きた関係を築く上での最高のテキストです。

14. 詩篇102篇に見るメシア

ベレーシート

  • なにゆえに詩篇102篇がメシア詩篇と呼ばれるのでしょうか。それは、この詩篇の24節後半以降の部分が、メシア(御子)について書かれたものであることを、ヘブル人への手紙を書いた著者が証言しているからです。おそらく、詩篇102篇を読んでいるだけでは、24節以降の部分が御子について書かれているとはとても信じられないと思います。自然に読む限りでは、詩篇の24節以降は、「私」という人称を持つ存在が「主」である神に対して語っているように思ってしまうからです。まずは、詩篇とそれが引用されたヘブル人への手紙の箇所を見比べてみます。

【新改訳改訂第3版】
詩篇102篇25~27節
25 あなたははるか以前に地の基を据えられました。天も、あなたの御手のわざです。
26 これらのものは滅びるでしょう。しかし、あなたはながらえられます。すべてのものは衣のようにすり切れます。あなたが着物のように取り替えられると、それらは変わってしまいます。
27 しかし、あなたは変わることがなく、あなたの年は尽きることがありません

【新改訳改訂第3版】
ヘブル人への手紙1章10~12節
10 またこう言われます。「主よ。あなたは、初めに地の基を据えられました。天も、あなたの御手のわざです。
11 これらのものは滅びます。しかし、あなたはいつまでもながらえられます。すべてのものは着物のように古びます。
12 あなたはこれらを、外套のように巻かれます。これらを、着物のように取り替えられます。しかし、あなたは変わることがなく、あなたの年は尽きることがありません。」


1. 詩篇102篇24節の後半は、神(御父)が御子の願いに答えたことば

  • 詩篇102篇24節を見てみましょう。

【新改訳改訂第3版】詩篇102篇24節
私は申しました。「わが神よ。私の日の半ばに私を取り去らないでください。あなたの年は代々に至ります。


●しかし、ヘブル書にある引用を考慮するならば、24節の後半「あなたの年は代々に至ります」から終わりまでは、御子の願いである「わが神よ。私の日の半ばに私を取り去らないでください。」という願いに対して、御父がお答えになったものだと解釈されます。つまり、以後の「あなた」はすべて御子の人称だということです。

●本来のヘブル語聖書には、今日の聖書とは異なり、区分する節も「」の記号もありません。ですから、節や「」にとらわれず、もう少し柔軟に読んでも良いのではないかと考えます。例えば、詩篇22篇が良い例です。22篇21節の半ばにある「あなたは私に答えてくださいます。」から、内容が嘆きから賛美へと転換しているのです。それと同様に、詩篇102篇も24節の途中で、「私」の願いから、それに対する神の返答へと転換していると理解するなら、納得することができます。また詩篇102篇全体もよく見えてくるのです。


2. 御子は永遠不変の存在者

  • 詩篇102篇は、「私」という人称を持つ御子が、孤独と苦難の中で「主」である御父に対して苦しみの叫びの祈りをしているのです。

(1) 自分の嘆きを主の前に注ぎ出された御子

【新改訳改訂第3版】詩篇102篇表題 1~2節
悩む者の祈り。彼が気落ちして、自分の嘆きを主の前に注ぎ出したときのもの

1 【主】よ。私の祈りを聞いてください。私の叫びが、あなたに届きますように。
2 私が苦しんでいるときに、御顔を私に隠さないでください。私に耳を傾けてください。私が呼ぶときに、早く私に答えてください。


●この詩篇の「私」という人称が御子だとすれば、ここでの「主」は御父ということになります。ヘブル人への手紙5章7節にはこのように記されています。
「キリストは、人としてこの世におられたとき、自分を死から救うことのできる方に向かって、大きな叫び声と涙とをもって祈りと願いをささげ、そしてその敬虔のゆえに聞き入れられました。」(【新改訳】)

●ここはまさにイェシュアの生涯における「ゲッセマネの祈り」と言えます。「わが父よ。できますならば、この杯をわたしから過ぎ去らせてください」(マタイ26:39)というフレーズはありませんが、三度も同じことを繰り返して祈られた事の中に、「私の叫びが、あなたに届きますように」という注ぎ出しの祈りを認めることができます。また、「わが神よ。私の日の半ばに私を取り去らないでください。」という御子の願いを認めることができます。そうした御子の願いに対して、御父が答えられたことばを一文で要約するならば、それは「あなたの年は代々に至ります」です。つまり、天と地にあるすべてのものが変わったとしても、あなたは変わることがなく、あなたの年は尽きることがないという、まさに御子は永遠に不変であるということです。

●ヘブル語では、それを「アッタ―・フー」(אַתָּה־הוּא)で表しています。ちなみに、ヘブル人への手紙13章8節にも、「イエス・キリストは、きのうもきょうも、いつまでも、同じです。」とあります。これをヘブル語で表わすと、「イェーシューア・ハッマシーアッハ・フー」
(יֵשוּעַ הַמָשִׁיחַ הוּא)となります。


3. 人称なき存在の御子に対する預言(励まし)

  • 12~17節、および18~22節には、「私」という人称の存在がひとつもありません(1~11節までは「私」が23回もあったにもかかわらず)。ということは、12~17節、および18~22節は「人称なき存在」、すなわち聖霊の声だとも解釈できます。とすれば、12~17節は御子を「主」という名で呼び、主に与えられた務めを預言していることになります。

【新改訳改訂第3版】詩篇102篇12~17節
12 しかし、【主】よ。あなたはとこしえに御座に着き、あなたの御名は代々に及びます。
13 あなたは立ち上がり、シオンをあわれんでくださいます。今やいつくしみの時です。定めの時が来たからです。
14 まことに、あなたのしもべはシオンの石を愛し、シオンのちりをいつくしみます。
15 こうして、国々は【主】の御名を恐れ、地のすべての王はあなたの栄光を恐れましょう。
16 なぜなら、【主】はシオンを建て、その栄光のうちに現れ、
17 窮した者の祈りを顧み、彼らの祈りをないがしろにされなかったからです。


●人称なき存在である「御霊」が、御子の神性を明らかにし、「あなたの御名は代々に及びます」と言って、御子の永遠性をたたえています。「あなたは立ち上がり」とは御子の「復活」を予表しています。そして、その務めは「シオンを再建」することです。


4. 永遠の望み

  • すべてのものは衣のようにすり切れ、取り替えられます。しかし聖書は、新しい秩序による「新しい天と新しい地」がいつの日か出現することを告げています(イザヤ65:17、黙示録21:1)。使徒ぺテロも同様にそのことを述べています。「しかし、主の日は、盗人のようにやって来ます。その日には、天は大きな響きをたてて消えうせ、天の万象は焼けてくずれ去り、地と地のいろいろなわざは焼き尽くされます。・・しかし、私たちは、神の約束に従って、正義の住む新しい天と新しい地を待ち望んでいます(Ⅱペテロ3:10, 13)。
  • それゆえ、永遠に変わることのない御子を信じる私たちに対して、次のように約束されています。

【新改訳改訂第3版】詩篇102篇28節
あなたのしもべらの子孫は住みつき、彼らのすえは、あなたの前に堅く立てられましょう。


2016.8.17


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