詩篇37篇12~15節
詩篇は、神と私たちの生きた関係を築く上での最高のテキストです。
4. 詩篇37篇12~15節
ベレーシート
- 詩篇37篇12節以降には、新たな展開があります。前回は「貧しい人は地を受け継ぐ」という約束が与えられていますが、その「貧しい人(者)」を打ち倒そうとする「悪者」の企てがあることを教えています。しかし、その「悪者」の企ては自滅の運命にあるということです。
【新改訳改訂第3版】詩篇37篇12~15節
12 悪者は正しい者に敵対して事を図り、
歯ぎしりして彼に向かう。
13 主は彼を笑われる。
彼の日が迫っているのをご覧になるから。14 悪者どもは剣を抜き、弓を張った。
悩む者、貧しい者を打ち倒し、
行いの正しい者を切り殺すために。
15 彼らの剣はおのれの心臓を貫き、
彼らの弓は折られよう。
●12節は同義的パラレリズム。13節は合成的パラレリズム。
14節も合成的パラレリズム。15節は同義的パラレリズム。12~13節と14~15節はシンメトリックな構成となっています。
1. 悪者にはやりたいことがある
- 「神様にはやりたいことがある」と同時に、「神に逆らう悪者にもやりたいことがある」のです。それは、神にどこまでも信頼し、従おうとする者、すなわち「悩む者」(原語は「アーニー」עָנִי)と「貧しい者」(原語は「エヴヨーン」אֶבְיוֹן)を打ち倒し、「行いの正しい者」(原語は「イシュレー・ダーレフ」יֽשְׁרֵי־דָרֶךְ=「歩みの真っ直ぐな者たち」)を切り殺すことです。そのために神に逆らう悪者たちは「剣を抜き」、「弓を張る」のです。ところが、その結末は自滅です。
- 「打ち倒す」と訳された「ナーファル」(נָפַל)は「自らの手に落とすこと」、また「切り殺す」と訳された「ターヴァハ」(טָבַח)は「虐殺する」ことを意味します。
2. 主の「笑い」
- 13節に「 主は彼を笑われる。彼の日が迫っているのをご覧になるから。」とあります。主の笑いは、神に逆らう者たちの「事を図ること」に対してです。「事を図り」と訳された「ゾーメーム」(זֹמֵם)は動詞「ザーマム」(זָמַם)の分詞です。
- 主が「笑う」ことについては、詩篇2篇4節にも「天の御座に着いている方は笑い」とあります。同じ動詞「サーハク」(שָׂחַק)が使われています。主の笑いは、敵の定め、敵の運命が神の定めにおいて明らかだからです。詩篇37篇では「彼の日が迫っているのをご覧になるから」とあります。「彼の日」とは、「彼の運命の日」、すなわち「彼がさばかれる日」という意味です。それを見越しているので主は笑われるのです。
- 地的現実の厳しさだけを見ている限りでは、「恐れ」に支配されるかもしれません。しかし天的現実における主の定めを知るなら、恐れることはありません。そのような信仰的境地に立つことが必要なのです。
2016.12.7
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