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詩篇37篇20~24節

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詩篇は、神と私たちの生きた関係を築く上での最高のテキストです。

6. 詩篇37篇20~24節

ベレーシート

  • 今回は、「悪者」(新共同訳は「主に逆らう者」)の末路(運命)を示す動詞について注目してみたいと思います。

【新改訳改訂第3版】詩篇37篇20~24節
20
しかし悪者は滅びる
【主】の敵は牧場の青草のようだ。
彼らは消えうせる。煙となって消えうせる
21
悪者は、借りるが返さない。
正しい者は、情け深くて人に施す。
22
主に祝福された者は地を受け継ごう。
しかし主にのろわれた者は断ち切られる
23
人の歩みは【主】によって確かにされる。
主はその人の道を喜ばれる。
24
その人は倒れ(טוּל)てもまっさかさまに倒され(נָפַל)はしない。
【主】がその手をささえておられるからだ。


●24節の「ささえておられる」という動詞の「サーマフ」(סָמַךְ)について、前回(17節で)取り上げました。失敗して倒れることはだれにでもあります。どんな勇者でも一つの失敗によってどん底に落ち、再び立ち上がることができないこともあり得ます。しかしその者の手をしっかりとつかんでくださる主がおられるなら、再び、立ち上がることができるのです。「サーマフ」はまっさかさまに落ちることがないように、手をつかんでくださる神の恩寵を表す語彙です。イェシュアを裏切ったペテロもそんな経験をした一人だと思います。そんな彼のためにイェシュアは祈り、「立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」(ルカ22:32)と言われました。人が「倒れてもまっさかさまに倒されはしない」のは、主がその人の手をつかんでくださるからなのです。そのような歩みが保障されている生涯は何とすばらしいことでしょうか。

●しかし、主に逆らう者たちの運命はこれとは反対で、まっさかさまに落ち、打ち捨てられるのです。今回は、20節にある「滅びる」「消えうせる」、22節の「断ち切られる」という語彙を記憶に留めたいと思います。


1. 詩篇37篇にある「悪者」の末路(運命)を指し示す四つの動詞(同義語)

画像の説明

(1) 「アーヴァド」(אָבַד)

●この動詞は192回使われています。この動詞の初出箇所は出エジプト記10章7節で、モーセの要求を頑なに拒むパロに対して、家臣たちがモーセの要求をのむように説得している場面で使われています。「エジプトが滅びるのが、まだお分かりにならないのですか。」と必死で訴えています。すでに、エジプト建国以来の災害を被っており、次の災害はエジプト全土にいなごの大群が襲うという予告に対して、家臣たちがパロに進言したのです。

●この「アーヴァド」は、エステル記に数多く使われていることがコンコルダンスを見ると分かります。エステル記ではハマンによる「ユダヤ人絶滅」の企みがあったからです。歴史的にはそのようなことは起こりませんでしたが、歴史を概観するならば、反ユダヤ主義はいつの時代にも台頭しています。20世紀のナチスのヒットラーがユダヤ人絶滅を企み、多くのユダヤ人が殺されました。しかしヒットラーはペルシャのハマンと同じく、自滅する結果となりました。

●神によって選ばれた神の民は「絶滅」の危機から常に奇蹟的に守られて来ました。詩篇の中にもこの動詞が26回と多く使われていますが、詩篇の最初(1篇)からそのことが語られています。6節には「悪者の道は滅びうせる」とあります。この「滅びうせる」と訳された動詞がまさに「アーヴァド」なのです。神に逆らう「悪者たち」の運命は確実に「絶滅する」運命にあります。

●ちなみに、詩篇37篇でこの動詞が使われているのは1回限りで、20節に「悪者は滅びる」とあります。


(2) 「カーラー」(כָּלָה)

●この動詞は両義性を有する語彙です。つまり、「完成する」「成就する」「達成する」「~を成し遂げる」「~をし終える」という面と、「滅ぼし尽くす」「絶ち滅ぼす」「消えゆく」という面の意味を合わせ持っています。つまり、神のご計画において全く相反する意味を有しているということです。これは、ヘブル語の特徴です。そうした言葉の例として、ヘブル語の「カンナー」(קַנָּא)がそうです。「妬む」という意味と「熱意」という意味を合わせ持っているのです。それを合わせた訳語がないために、聖書によってどうしてもどちらかに傾きます。

●旧約では207回、詩篇37篇では20節に2回、「消えうせる」「煙となって消えうせる」と訳されています。


(3) 「カーラット」(כָּרַת)

●旧約では292回の使用頻度数です。詩篇37篇では5回(9, 22, 28, 34, 38節)、悪者は「断ち切られる」と訳されています。この動詞も両義性を持つ動詞で、男性器の包皮を切り取ることで、「契約を結ぶ」という意味になります。絶ち滅ぼされるか、神との契約を結か、対極的な意味を持っています。


(4) 「シャーマッド」(שָׁמַד)

●一族が「根絶やしにされる」意味を持つ「シャーマッド」は、旧約で91回使われています。基本形では使われず、ニファル態で使われます。詩篇37篇では1回(38節)、「そむく者は、相ともに滅ぼされる」で使われています。


2. 人の歩みは主によって確かにされる

  • 23節の原文は以下の通りです。

画像の説明

(1) 新改訳第三版
「人の歩みは主によって確かにされる。主はその人の道を喜ばれる。」
(2) 新共同訳
「主は人の一歩一歩を定め、御旨にかなう道を備えてくださる。」
(3) 岩波訳
「ヤハウェにより、男の足取りは定められ。その道をかれは悦ぼう。」
(4) バルバロ訳
「主は人の歩みを導き、強め、その道を守られる。」
(5) フランシスコ会訳
「人の歩みはヤーウェによって正しく導かれ、その道はまっすぐにされる。」

●訳によって、かなり異なっているのが分かります。しかし、ここでいろいろな訳を並べたのは、どれがよい訳かということではなく、神の恩寵を味わうためです。

●このみことばは当教会(空知太栄光キリスト教会)の玄関に飾っている色紙に書かれているものです。「歩み」と訳された語彙は「ミツアーッド」(מִצְעָד)で、その複数形は信仰の一つひとつの歩みです。その一歩一歩を主が備えて正しく導いてくださいます。ときには、私たちはその導きに従わずに道を踏み外してしまうかもしれません。しかし主はそんな私たちを赦し、再び歩むべき道へと導かれます。私の計画や考えや努力ではなく、完全に主によって定められている道があるのです。そしての道を歩む者を主は喜ばれます。しかも、主が備えられている道を従順に歩むようにされた者のことを、聖書は「人」=「勇者」(「ゲヴェルגֶבֶר)と呼んでいるのです。決して生まれながらの「勇者」ではなく、主に訓練され、育成された信仰の勇者です。


2016.12.9


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