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詩篇37篇25~29節

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詩篇は、神と私たちの生きた関係を築く上での最高のテキストです。

7. 詩篇37篇25~29節

ベレーシート

  • 「地を受け継ぐ」というテーマはすでに味わいましたが、今回は、指定された箇所に2回(27, 29節)使われている「いつまでも住みつく」というフレーズに注目したいと思います。「地を受け継ぐ」ことは、きわめて預言的です。なぜなら、それは神のご計画が完成するときになされる出来事だからです。それゆえに、「そこに、いつまでも住みつく」ことができるのです。

25
私が若かったときも、また年老いた今も、
正しい者が見捨てられたり、
その子孫が食べ物を請うのを見たことがない。
26
その人はいつも情け深く人に貸す。
その子孫は祝福を得る。
27
悪を離れて善を行い、
いつまでも住みつくようにせよ
28
まことに、【主】は公義を愛し、
ご自身の聖徒を見捨てられない。
彼らは永遠に保たれるが、
悪者どもの子孫は断ち切られる。
29
正しい者は地を受け継ごう。
そして、そこにいつまでも住みつこう。


1. 「いつまでも住みつく」とは

  • 詩篇37篇27節と29節には「いつまでも住みつく」というフレーズがあります。27節は「離れよ」「(善を)行え」、そして「住め」という命令形となっており、どこに住むのかは語られていませんが、すでに22節で「主に祝福された者はを地を受け継ごう」とあるので、住むのは「地」と言えます。29節にはそのことが明確にされ、「正しい者(複数)は地を受け継ごう。そして、そこにいつまでも住みつこう。」とあります。
  • 「住みつこう」は「シャーハン」(שָׁכַן)の3人称複数未完了形で、きわめて預言的です。神の民が神に与えられた地に永遠に住むことができるのは、神のご計画の最終段階においてです。ですから、まだだれも「住みついてはいない」のです。
  • 神に選ばれたイスラエルの父祖アブラハムは、「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。」と語られました。そしてアブラハムは「出て・・行け」(「レフ・レハー」לֶךְ־לֶךָ)という流浪の旅を続けることになるのです。この事実が「住みつく」までのプロセスとなります。それゆえ、神の民は「地上では旅人であり、寄留者」と言われるのです。
  • そのアブラハムが待ち望んだ「いつまでも住みつく」地とは、「堅い基礎の上に建てられた都」(ヘブル11:10)です。アブラハムは、彼と一緒に天幕生活をしたイサクやヤコブとともに、その都に向かって地を旅したと言えます。彼らは「地上では旅人であり寄留者」であったとしても、やがては神が設計し建設される都のある地に「いつまでも住む」ことになるのです。「いつまでも」は「ラーアッド」(עָלַד)です。「アッド」(עַד)は前置詞ではなく、ここは名詞の「永遠」を意味します。この「いつまでも住む」ことになる「地」のことを、聖書は「揺り動かされない御国」と表現しています(ヘブル12:28)。この祝福に、異邦人である私たちもイェシュアを通して接ぎ木されているのです。
  • 主にある者たちはみな、この「揺り動かされない御国」に向かって、今、旅をしているのです。「旅をする」ことは「歩く」(「ハーラフ」הָלַךְ)ことです。「歩く」「歩む」とは人間の行動の全般を指示する語彙です。神に選ばれた者にとって、それは神の道を歩むことです。エノクやノアと同じように神とともに歩むことです。しかしそれは決して容易なことではありません。
  • 信仰の父アブラハムが歩くことに失敗した後に、主は再び現われ、「わたしは全能の神である。あなたはわたしの前を歩み、全き者であれ。」と語られました。「わたしの前を歩み」の「歩み」は、強意形ヒットパエル態で、アブラハムが神の示される道を自ら主体的に、自発的に「歩く」ことを意味します。アブラハムは彼に続く者たちのために、最初に地をさすらう者とされたのです。
  • エジプトから救い出された神の民もすぐに約束の地に行ったのではなく、40年の間、荒野において神の道を歩むことを訓練されました。荒野においては道はなく、常に、神の導きに従うことが求められました。そうした神の民が次のように告白しています。

【新改訳改訂第3版】詩篇77篇13節、19~20節
13 神よ。あなたの道は聖です。神のように大いなる神が、ほかにありましょうか。

19 あなたの道は海の中にあり、あなたの小道は大水の中にありました。それで、あなたの足跡を見た者はありません。
20 あなたは、ご自分の民を、モーセとアロンの手によって、羊の群れのように導かれました。


神の道は必ずしもいつも目に見えるとは限りません。「海の中」にある道です。しかし、神の民はその道を信仰によって歩み続けてきました。


2. 「住みつく」までの旅は、神を求め続ける旅です

  • いつまでも(「ラーアッド」לָעַד)、住むことになるまでのプロセスこそ「信仰の旅」と言えます。その旅とは「神を求め続ける旅」であり、「神を知り続ける旅」であり、「神に導かれて、神とともに生きる旅」でもあるのです。最終の地にたどりつくとき、神の安息が与えられます。それまでのプロセスが重要です。多くの信仰者たちがどこを目指して歩いたのかを、私たちは学ばなければなりません。ヘブル人への手紙の著者は次のように記しています。

【新改訳改訂第3版】ヘブル書4章1節、11節
1 こういうわけで、神の安息に入るための約束はまだ残っているのですから、あなたがたのうちのひとりでも、万が一にもこれに入れないようなことのないように、私たちは恐れる心を持とうではありませんか。

11 ですから、私たちは、この安息に入るよう力を尽くして努め、あの不従順の例にならって落後する者が、ひとりもいないようにしようではありませんか。


2016.12.20


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