****** キリスト教会は、ヘブル的ルーツとつぎ合わされることで回復し、完成します。******

詩篇45篇に見るメシア

文字サイズ:

詩篇は、神と私たちの生きた関係を築く上での最高のテキストです。

8. 詩篇45篇に見るメシア

ベレーシート

  • 詩篇45篇がなにゆえにメシア詩篇と呼ばれるのかと言えば、この詩篇の6~7節が、ヘブル人への手紙1章8~9節において、御国の王となるべき御子(イェシュア)として解釈されているからです。つまり、それ以外の解釈は筋の通らないものとなるのです。
  • 「ダビデの宝庫」を書いたC・H・スポルジョンは、「この詩篇の中にソロモンしか見いだせない人がいるが、それは近視眼的な見方である。」と述べています。
  • この詩篇の表題を見ると、以下の通りです。

    【新改訳改訂第3版】詩篇45篇
    指揮者のために。「ゆりの花」の調べに合わせて。コラの子たちのマスキール。愛の歌


    アネモネ.JPG

    ●「ゆりの花」はヘブル語の「シューシャーン」(שׁוּשָׁן)という赤い花で、春から夏にかけて咲く「アネモネ」という花です。雅歌の中で3回(2:1/5:13/6:2)使われています。「ゆりの花」は花婿の愛すべき人、花嫁の象徴です。この花嫁が、9節では「王妃」(「シェーガル」שֵׁגַל)と称されます。「シューシャン」と「シェ―ガル」、音韻が似ています。

    ●イェシュアは「ゆりの花のことを考えてみなさい。」と言われました。そして、その花が「どうして育つのか、紡ぎもせず、織りもしないのです。しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を窮めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。」(ルカ12:27)と語られました。ここでは「ゆりの花」の美しさをたたえています。「ゆりの花」は「キリストの花嫁」の象徴です。その花嫁に着せられているのは「義の衣」です。それは栄華をきわめたソロモンでさえ着ることができなかったのです。やがてイェシュアの再臨(空中再臨)の時には、キリストの「花嫁は、光り輝く、きよい亜布の衣を着ることを許され」るのです(黙示録19:8)。

    ●それを裏づけるかのように、表題には「愛の歌」(「シール・イェディードーット」שִׁיר יְדִידֹת)とも記されています。また、「マスキール」は「サーハル」(שָׂכַל)の分詞形が使われており、「賢い者」という意味です。つまり、「ゆりの花」に象徴される人(花嫁)と「賢くある方」(花婿)との愛の歌というのが、表題が意味していることです。「賢くある方」(別訳では「思いやりのある人」「心を配る人」「顧みる人」)のことをヘブル語では「マスキール」(מַשְׂכִּיל)で表しています。

    ●表題からも、この詩篇が「花婿と花嫁の愛の歌」であることを想起させます。


1. 詩篇45篇でのメシアの称号は「あなた」という人称の「王」

  • 「私の心はすばらしいことばでわき立っている。私は王に私の作ったものを語ろう」(1節)とあるように、「私」という人称をもった詩篇45篇の作者は「王」のことを「あなた」という人称で語っています。この「私」という人称をもった存在は、きわめて「人称なき存在」に似た者と言えます。なぜなら、詩篇45篇の作者は、聖霊と同様に、「花婿」と「花嫁」を結びつける役割をもっているからです。アブラハムの息子イサクとその嫁となるリベカを結びつけたアブラハムの最年長のしもべ「エリエゼル」は、キリストと教会を結び合わせる聖霊の「型」です。その聖霊と同じ役割を担っているのが、詩篇45篇の作者である「わたし」という人称をもった存在なのです。
  • その存在が、「あなた」と記す「王」とその栄光について、2~9節で語っているのです。新約のヘブル書には、6~7節だけが引用されていますが、花婿となられる方の栄光を知るためにはここに語られている事柄を知る必要があります。

【新改訳改訂第3版】詩篇45篇2~9節
2 あなたは人の子らにまさって麗しい。あなたのくちびるからは優しさが流れ出る。神がとこしえにあなたを祝福しておられるからだ。
3 雄々しい方よ。あなたの剣を腰に帯びよ。あなたの尊厳と威光を。
4 あなたの威光は、真理と柔和と義のために、勝利のうちに乗り進め。あなたの右の手は、恐ろしいことをあなたに教えよ。
5 あなたの矢は鋭い。国々の民はあなたのもとに倒れ、王の敵は気を失う。
6 神よ。あなたの王座は世々限りなく、あなたの王国の杖は公正の杖。
7 あなたは義を愛し、悪を憎んだ。それゆえ、神よ。あなたの神は喜びの油をあなたのともがらにまして、あなたにそそがれた。
8 あなたの着物はみな、没薬、アロエ、肉桂のかおりを放ち、象牙のやかたから聞こえる緒琴はあなたを喜ばせた。
9 王たちの娘があなたの愛する女たちの中にいる。王妃はオフィルの金を身に着けて、あなたの右に立つ。


●「あなた」という人称がこの詩篇の2~9節までの各節に繰り返されて、なんと20回も使われています。


2. 王なる花婿の四つの栄光

(1) 卓越した人としての栄光

【新改訳改訂第3版】詩篇45篇2節
あなたは人の子らにまさって麗しい。
あなたのくちびるからは優しさが流れ出る。
神がとこしえにあなたを祝福しておられるからだ。


●「麗しい」と訳された語彙は「ヤーフェー」(יָפֶה)で、聖書の中における美男美女を指す形容詞です。旧約では42回使われています。どんな人物に使われているかといえば、次の人物がそうです。
①アブラハムの妻「サライ」(後の「サラ」)
②ヤコブの妻となる「ラケル」
③「ヨセフ」
④「ダビデ」
⑤ナバルの妻「アビガイル」(後にダビデの妻となる)
⑥ダビデの子アブシャロムの妹「タマル」
⑦ダビデの子「アブシャロム」
⑧アブシャロムの娘「タマル」
⑨老年のダビデの介助役をさせられた「アビシャグ」
⑩「エステル」
⑪悔い改めたヨブの四人の「娘たち」
・・です。「美しいが、たしなみ(慎み、知性)のない女は、金の輪が豚の鼻にあるようだ」(箴言11:22)とあるように、ヘブル人は、単に目に見えるうわべだけが美しくても、真に「美しい」とは評価しないようです。

●「あなたのくちびるからは優しさが流れ出る」とあります。その「優しさ」の原語は「ヘーン」(חֵן)で、「恵み、親切、好意」を表します。使徒パウロはこの「ヘーン」を「カリス」(χάρις)と訳しました。その意味は「受けるに値しない者に注がれる愛顧」です。ルカが「カリス」ということばを使う時にはパウロとは異なるニュアンスで使っています。つまり、一方的に相手から「気に入られる、好意を持たれる、目をかけられる」という意味です。パウロのカリスは英語の「グレース」(Grace)、ルカのカリスは「フェイヴァー」(Favor)です。詳しくはこちらを参照。

●「あなた(王)のくちびるからは優しさが流れ出る」という部分の成就として、ルカは「みなイエスをほめ、その口から出て来る恵みのことばに驚いた」と記しています(ルカ4:22)。

●このような人として卓越した王であることの根拠として、「神がとこしえにあなたを祝福しておられるからだ。」と記されています。

(2) 王としての公平な統治支配

【新改訳改訂第3版】詩篇45篇3~5節
3 雄々しい方よ。あなたの剣を腰に帯びよ。あなたの尊厳と威光を。
4 あなたの威光は、真理と柔和と義のために、勝利のうちに乗り進め。あなたの右の手は、恐ろしいことをあなたに教えよ。
5 あなたの矢は鋭い。国々の民はあなたのもとに倒れ、王の敵は気を失う。


●3節で「王」は、「雄々しい方」(「ギッボール」גִּבּוֹר)と言い換えられます。つまり「勇士としての王」という意味です。その証拠に「剣を腰に帯びよ」と命じられています。「麗しさ」とは真逆の「勇ましい姿をもった王」の姿です。その右の手は恐るべき力を持ち、その右手が放つ矢は敵を打ち倒します。

(3) 御座における王座の永遠性

  • 同じくメシア詩篇と言われる詩篇2篇の「主に油をそそがれた者(王)」は、神に敵対する者たちを「鉄の杖」をもって打ち砕きます。しかしその「鉄の杖」は、御国の民にとっては、羊飼いの杖となります。つまり、牧者の心をもった王の杖となって御国の民を導くのです。王の統治は御国の民にとって公平な金の笏となるのです。このことがヘブル書に引用されているのです。

【新改訳改訂第3版】詩篇45篇6~7節
6 神よ。あなたの王座は世々限りなく、
あなたの王国の杖は公正の杖
7 あなたは義を愛し、悪を憎んだ。
それゆえ、神よ。あなたの神は喜びの油を
あなたのともがらにまして、あなたにそそがれた。


●「あなたの神は喜びの油を・・あなたにそそがれた」という部分が、ヘブル書では「あふれるばかりの喜びの油を」となっています。ここでは最上級の喜びを表わす「アガッリアシス(ἀγαλλίασις)」というギリシア語が使われています。つまり王が、御父から最高度の喜びをもって歓迎されたことを意味しています。

(4) 王の右に立つ王妃の存在

  • 王のさらなる栄光は、天の座からこの地に下って来られて、苦難を引き受けられたことです。その目的は自らの花嫁を見出すためであったのです。そのことが以下に記されています。

【新改訳改訂第3版】詩篇45篇8~9節
8 あなたの着物はみな、没薬、アロエ、肉桂のかおりを放ち、象牙のやかたから聞こえる緒琴はあなたを喜ばせた。
9 王たちの娘があなたの愛する女たちの中にいる。王妃はオフィルの金を身に着けて、あなたの右に立つ。


●「あなたの着物はみな、没薬、アロエ、肉桂のかおりを放ち」とあります。「没薬」(ミルラ)は埋葬の象徴。「アロエ」は受難の象徴。「肉桂のかおり」は「シナモンのかおり」で「いやし」の象徴です。それらのかおりを染み込ませた王とその着物は地上でのメシアの働きを表わしています。と同時に、「象牙のやかた」は天における王の住まいを象徴しています。そこから聞こえる御使いたちの賛美は王を喜ばせます。なぜなら、王は永遠の信頼すべき花嫁を右に立たせることになるからです。

●9節で使われている「王妃」の語彙は「マルカー」(מַלְכָּה)ではなく、異邦の王の王妃に使われる「シェーガル」(שֵׁגַל)という語彙が使われています。それはやがて啓示されるキリストの花嫁なる教会(イェシュアをメシアと告白する異邦人とユダヤ人を構成メンバーとする)です。神があらかじめ定められていた永遠のご計画は、ご自身の御子に花嫁を迎えさせるためのものです。このことは神のご計画の最終ステージで成就します。この花嫁とすでに神の妻となっていたイスラエルが回復され、神と人とが共に住むという結婚の奥義が完成するのです。その意味において、詩篇45篇は「詩篇における雅歌」として、終末論的「愛の歌」と言えるのです。


2016.7.27


a:7482 t:3 y:0

powered by Quick Homepage Maker 5.2
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional