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詩篇72篇に見るメシア

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詩篇は、神と私たちの生きた関係を築く上での最高のテキストです。

11. 詩篇72篇に見るメシア

ベレーシート

  • 詩篇72篇は、これまでのメシア詩篇とは異なり、新約聖書にこの詩篇からの引用箇所は皆無です。しかし、内容的にはソロモン王の治世を越えた特徴が描かれています。その特徴とは、羊飼いのような牧者の心を持って民を治める王だということです。11節に「こうして、すべての王が彼にひれ伏し、すべての国々が彼に仕えましょう」とあります。その理由は、この「彼」と称する王がご自分の民を義と公正をもってさばくからです。その「彼」とは、ソロモン王のことではなくて、やがて大患難の後に到来する千年王国の統治者であるメシアなる王を指し示しています。
  • 表題に「ソロモンによる」(新改訳)とあります。しかし原文は「リシェローモー」(לִשְׁלֹמוֹ)で、「リ」(לִ)は「~のために」という前置詞ですから、ここは「ソロモンのために」と訳されるべきです。と言っても、ソロモン王のための祈りの詩篇ではなく、ソロモンより勝った真の王なるメシアをたたえる詩篇です。ソロモンは、彼に勝る千年王国の「王なるメシア」の型となっているのです。というのは、「型」となる共通点があるからです。共通点の第一は、王としての治世の最初、敵に対するさばきで始まるということです。ソロモンの場合は、父ダビデの遺言によって、アブシャロムの反乱に加担してダビデを呪ったシムイ、また軍団長であったヨアブ、そして即位宣言をしたダビデの息子のアドニヤに対してです。同様に千年王国のメシアも、最初に反キリストおよび、にせ預言者をさばき、そしてサタンを幽閉します。第二の共通点は、王国に平和をもたらすという点です。

1. ソロモンによる統治

  • ソロモンの治世は全領域にわたって平和があったと聖書は総括的に述べています(Ⅰ列王4:24)。しかしこの平和は、神ご自身に対する信仰というよりは、世俗的な手段によるものでした。同盟関係を結ぶ手段としての政略結婚は、当時は当たり前のことでした。しかしこのことが異教的な聖所を造ることを許し(同11:1~8)、聖であるべき神の民が聖を喪失してしまったことで、主の怒りを引き起こすことになりました(同、11:9~13)。
  • また、ソロモンの治世では通商貿易の拡大によって膨大な富がもたらされました。しかしソロモンの豪華な宮廷生活、神殿の国家的建設事業とそれを遂行するための官僚組織に払われる莫大な人件費、さらには、平和を維持するための戦略的基地となる町の建設、そしてそこに戦車部隊と騎兵部隊を配備するための財政的負担。こうした平和維持のための国家財政は、次第に「慢性的な支出超過」となり、国家の財政的危機を招きました。そのつけ(負担)は当然ながら国民に回ってきます。ソロモンはそうした財政危機の中で、イスラエルの民をも徴用して強制労働を課したのです。そうしたことが、次第に民の大きな不満として蓄積され、またユダ族への優遇措置と合わさって、ソロモンの死後に国を分裂させる圧力となっていきました。
  • 発展する経済は富める者たちをさらに富ませ、貧しい者たちをさらに貧しくさせ、その貧富の格差がますます増大して行くという結果を招きました。もはや「彼(ソロモン)の心は、父ダビデの心とは違って、彼の神、主と全く一つにはなっていなかった。」(同11:4)とあります。つまり、ソロモンの心は庶民に向かってはいなかったようです。その結果、ユダ王国はやがて国を失う運命となります。ソロモンはイスラエルの牧者のあり方を理想とする王の姿からは、ほど遠くなっていたのです。

2. ソロモンを凌ぐ、牧者の心を持ったメシアの統治

  • 詩篇72篇に描かれているメシアなる王はソロモンとは異なり、むしろ、「牧者の心をもった王」です。その治世の特徴は、「貧しい者たち」、「極貧の者たち」に対して、義をもって、公平に、「さばく」(統治する)ことです。

(1) 王の民に対する統治

  • ここで、王の民となる者はどのような民なのでしょうか。
    ①「悩む者」(「アーニー」עָנִי)・・・・助ける人がいない者
    ②「貧しい者」(「エヴヨーン」אֱבְיוֹן)・・助けを叫び求める者(極貧の者)
  • イェシュアが山上の説教で語ったことばは、御国に住むことになる者たち、つまり「霊において貧しい者は幸いである」ということでした。「霊において貧しい」とは、神に頼らなければ生きていけないと悟った者、あるいは、神に全き信頼をおく者のことです。天の御国はそのような者たちのものだ、とイェシュアは集まった群衆に教えられました。千年王国におけるすべての民は、すべての必要がメシアなる王によって賦与される者たちなのです。

(2) メシア王国はソロモンが獲得した領土を回復させる

【新改訳2017】詩篇72篇8~11節
8 海から海に至るまで川から地の果てに至るまで王が統べ治めますように。
9 砂漠の民は王の前に膝をつき王の敵はちりをなめますように。
10 タルシシュと島々の王たちは貢ぎを納めシェバとセバの王たちは贈り物を献げます。
11 こうしてすべての王が彼にひれ伏しすべての国々が彼に仕えるでしょう。

  • 8節で王なるメシアが「統べ治める」(「ラーダー」רָדָה)地域が記されています。その地域は「海から海に至るまで」、「川から地の果てに至るまで」とあります。「海から海まで」(「ミッヤーム・アド・ヤーム」מִיָּם עַד־יָם)とは、「地中海からペルシア湾まで」という意味です。また、「川から地の果てに至るまで」の「川」(「ナーハール」נָהָר)とは、「ユーフラテス川」の意味です。

(3) メシア王国はアブラハム契約を実現させる

3. 王なるメシア・イェシュアの預言

【新改訳2017】詩篇72篇17節
王の名がとこしえに続き 
その名が日の照るかぎり増え広がりますように。
人々が彼によって祝福され 
すべての国々が彼をほめたたえますように。

  • 王の名とはメシアのことです。その名が「日の照るかぎり」と訳されていますが、原文ではその名が「太陽の前に(以前にある)」とあります。ヘブル語では「リフネー・シェメシュ」(לִפְני־שֶׁמֶשׁ)です。つまり、メシアであるイェシュアは太陽が造られる前から存在することを指し示しているのです。これは光源としての光ではなく、世を照らすまことの光であるメシア・イェシュアのことを指しているのです。

2016.8.9


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