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詩102篇/B

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瞑想Ps102/B

◆新しい生命の創造から誕生に至る過程においては、常に多くの苦しみが伴います。そして、その苦しみが大きければ大きいほど、得るものも大きいと言えます。これは自然の摂理であり、不可欠と言えます。このことは、神の民の復興においても然りです。バビロン捕囚を経験した神の民たちは、シオンの回復への苦悩を通させられました。この詩篇102篇はまさに、その苦しみを主の前に注ぎ出したものと言えます。

◆その苦悩は、「私の心は、青菜のように打たれ、しおれ、・・やせ衰えて、屋根の上のひとりぼっちの鳥のようになりました」(4,7節)とあるように、生きる意欲の喪失と孤独感です。心を注ぎだした後の浄化作用(カタルシス)のゆえか、作者は「しかし、主よ。・・あなたは立ち上がり。シオンをあわれんでくださいます。今やいつくしみの時です。定めの時が来たからです。」(13節)と宣言しています。

◆このシオンの特徴は、「シオン」という語が5回も出てきます。シオンと同義の「エルサレム」も1回あります。主がこの苦境から解放して、シオン(エルサレム)を回復してくださるという希望の約束を、おそらく自分に向かって語りかけたものと言えます。

◆私たちはいつでも自分に向って、自分のたましいに向って、神の約束、神の恵み、神の福音を語り続けることが不可欠です。そうしないと私たちは失意の中に埋もれてしまうからのです。

◆この詩篇の構成はサンドイッチのようです。悲惨な状況にある悲痛な叫びというパンで挟まれた中身の部分は、シオンの再建のために、しかもそれは「定めの時」に用意された希望の光です。この光は、単にバビロン捕囚からの解放というだけのものではなく、神のご計画の全貌の中にあるたとえとしての「光」です。つまり、シオンを再建するとは、イスラエルの子孫を再び約束の地とねかけらの神の元に連れ戻すことをいもしています。しかも、そのシオンの再建は、究極的に神が栄光のうちに現われることと深く関係しています。

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