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詩103篇/B

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瞑想Ps103/B

◆「わがたましいよ。主をほめたたえよ。私のうちなるすべてのものよ。聖なる御名をほめたたえよ。」(1節)この詩篇103篇の作者は自分に向かって呼びかけています。なぜ、自分のたましいに向かって呼びかける必要があるのでしょうか。それは、私たちはいともたやすく主の恵みを忘れてしまう者だからです。恨み、つらみ、人からされたひどい事などはいつまでも忘れずに覚えていながら、神の祝福はすぐに忘れ、その恵みに狎れてしまいやすいのです。

◆ルカの福音書17章11~19節に、イエスによって癒された10人のツァラートのうち、主に感謝するために戻ってきたのは何とたった1人でした。 これは私たちの姿ではないかと思います。ですから、詩103篇の作者は、自分に向かって、「主の良くしてくださったことのゆえに、主をほめたたる。」-私のうちにあるすべてのものをもって、主をほめたたえる必要を感じたのだと信じます。主の恵みに狎れること自体が信仰の危機だと作者は気づかされたのです。

◆作者がここで「主の良くしてくださったこと」として、具体的に挙げていることをみてみましょう。
(1) 「すべての咎(罪)を赦してくださったこと」
(2) 「すべての病のいやしてくださったこと」
(3) 「いのちを穴からあがなってくださったこと」
(4) 「恵みとあわれみとの冠をかぶらせてくださったこと」
(5)「一生涯、良いもので満たしてくださること」
(6) 「鷲のような若返りを与えてくださること」

◆特に、「冠をかぶらせ」という表現は味わい深いものがあります。あたかも神の目にはまるで私たちを王であるかのごとく見てくださっているということです。ある人は、「ここは神の母性愛が注がれていることを意味している」と言っています。なぜなら、母親にとって子は、まるで王子が扱われると同じように大切に扱われるからです。そうした特権にあずかっていることに感謝したいものです。

◆この詩103篇では、先ず、1~5節までは個人的な感謝を述べていますが、6節以降では、イスラエルの民全体に対する主の恵みとあわれみが記されています。このことはとても重要です。ヘブル人の思惟は、個人が集団を代表するということがよくあります。あるいは集団がひとりの個人によって代表されるという集合人格です。たとえば、旧約の預言者、あるいは多くの指導者が民全体を代表して罪の赦しを願ったりということが見られます。

◆ヘブル人の集合人格概念は、預言者ホセアとその妻ゴメルとの関係にも見られます。ゴメルは彼女の罪と、また期待される彼女の悔い改めとにおいてその国民なのです。すなわち彼女はその
イスラエルの民の実例であり、縮図であり、また代表としての一個人なのです。

◆詩103篇の作者は、自分のたましいに向かって呼びかけていますが、同時にその自分のたましいがイスラエルの民全体に対しても呼びかけているのです。

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