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詩110篇/B

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瞑想Ps110/B

◆ 「主は、私の主に仰せられる。」ではじまる詩篇110篇1節は新約聖書で最も多く引用される詩篇の箇所です。律法学者やバリサイ人も、ここを正しく理解してはいませんでした。「主」とは御父のことであり、主とはキリストのことだと解釈したのはイエス・キリストです。ダビデは聖霊によって、御父が御子に語っているその光景を目の当たりにしながら記したのです。その内容はきわめて預言的です。

◆「わたしがあなたの敵をあなたの足台とするまでは、わたしの右の座に着いていよ。」(1節後半)ということばは、御子イエスが十字架の死から復活され、天に昇られたあと御父の右に着座されたことを述べています。そしてそのときから後の時代のことが預言されています。2節の「主は、あなたの力強い杖をシオンから伸ばされる。」は、キリストの再臨のことを預言しています。また、5節と6節の 「あなたの右にいます主は御怒りの日に、王たちを打ち砕か
れる。 主は国々の間をさばき、それらをしかばねで満たし、広い国を治めるかしらを打ち砕かれる。」というのは、ハルマゲドンの戦いとその後の千年王国を預言していると考えられます。

◆それまでの間、御子イエス・キリストは、天において大祭司としての務めを果たしておられます。このことを詳しく教えているのが新約のヘブル書です。詩篇110篇4節にも、その大祭司のことが記されています。 「主は誓い、そしてみこころを変えない。『あなたは、メルキゼデクの例にならい、とこしえに祭司である。』」と。

◆神の御座の右に着座されているこの大祭司の最も重要な働きは、神の民たちの祈りを聞き、理解し、おりにかなった助けを与えることです。ヘブル書における「完全な救い」とは、大祭司キリストを通して「神に近づく」ことができることを意味します。しかも、臆することなく、責められることもなく、大胆に近づくことができるのです。神のふところへ引き寄せられて、主を知る者となる、ここに救いがあります。ヨハネはこれを「永遠のいのちを得る」と表現しました。

◆もう一つ興味深いことは最後の節(7節)に「主は道のほとりの流れから水を飲まれよう。それゆえ、その頭を高く上げられる。」とあります。これはどういうことでしょう。この詩篇で語られる主は、御父から権威の杖を与えられた御子です。その御子が、「道のほとりの流れから水を飲む」必要があるのです。この「水」とは、御霊なる方のことだと信じます。ヨハネの福音書の中に「神がお遣わしになった方は、神のことばを話される。神が御霊を無限に与えられるからである。」(3章34節)とあります。このことばは、永遠のゆるがない愛によって存在している御父と御子、そして御霊なる神が密接なかかわりをもって存在しておられることを示唆することばです。このように、詩110篇はきわめて預言的な詩篇だといえます。

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