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詩111篇/B

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瞑想Ps111/B

◆詩篇111篇のキーワードを10節の「主を恐れることは、知恵の初め」としたいと思います。旧約では「主を信じる」ことを「主を恐れる」と表現しています。主を信じるということが、すべての基本であり、スタートであり、土台なのだという告白です。

◆「主を信じること」、信じることは一見簡単なようで、ある意味ではとても難しいことだと最近感じるようになりました。詩篇111篇では、主の、御手、あるいは奇しい「みわざ」というように、「わざ」ということばが6回出てきます。主のわざは神のご性質の現われということができます。それは偉大で、尊厳と威光、真実、公正に満ちています。

◆イエス・キリストが群衆から「神のわざを行うために、何をすべてきでしょうか」と質問しました。その質問に主はこう答えられました「あなたがたが神が遣わされた者を信じること、それが神のわざです。」と。(ヨハネの福音書6章28,29節) 群衆の質問での「神のわざ」は複数形で、イエスの答えの「神のわざ」とは単数形です。つまり、信じるという一つのことが、「神のわざ」そのものであるということです。何を信じるかといえば、「神が遣わされた者」です。

◆神が遣わされた主イエス・キリストを信じる信仰、これこそすべての基、いのちのはじめ、知恵の初めです。神からの賜物である信仰が与えられていることを心を尽くして感謝します。

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