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詩113篇/B

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瞑想Ps113/B

◆左近 淑著『低きにくだる神』(-現代に語りかける旧約聖書2―ヨルダン社、1980)に詩篇113篇の私訳が載っています。それをここに引用してみたいと思います。他の聖書の訳にはみられない何かがあります。

5, 6
みくらを高くおきながら
身をかがめて 天と地を顧みる
われらの神 ヤーウェに 比較(くら)べうるものはだれもいない
7
ヤーウェは 貧しく おちぶれた者を
塵あくたの中から 立ち上がらせ
8
再び 高貴な者の列に加え、
民を率いる者の地位につかせ
9
子のない女を家に住まわせ
大勢の子の母として楽しませる

◆新改訳では「身を低くして」と訳されたことばが、左近訳では「身をかがめて」と訳されています。この動詞は「身を投げ捨て」とも「身を落とす」「引き降ろす」とも訳されます。神のへりくだり、神の謙遜を表わすことばとしてとても重要です。神のへりくだりの極めつけは、イエスの受難において見ることができます。

◆キリスト教会の三大祝祭日は、クリスマス、イースター、そしてペンテコステです。特、クリスマスはどの教会でも大きな祝日として迎えています。しかし、本当に大切なことは、これらの日を迎える時の過ごし方です。クリスマスの前には4週間のアドベント(待降節)があり、イースターの前にもレント(受難節)があります。ペンテコステの前には特別な期間はありません。三大祝祭日の一つなのですから、聖霊待望節があってもよいと思いますがそれがありません。

◆クリスマスは神のへりくだりの実体として御子イエスキリストを人としてこの世にお遣わしになられた出来事です。アドベントにおいては教会でも4本のローソクを週ごとに1本ずつ点火していきます。ところが、イースターの前のレントと言われる受難節にはローソクのようなものはありません。イエスの受難は神のへりくだり、神の謙遜の真の姿です。神が人となられただけでなく、人間のありとあらゆる罪を黙って受け取られることにおいてそのへりくだりを私たちに見せてくれるきわめて重要な出来事です。ところがそれを静かに、そして深く瞑想すべき受難節は、日本においては受験シーズン、年度変わりの季節、移動季節で落ち着きのない記節なのです。じっくりと主の前に静まって瞑想することを許さない実情があります。

◆イースターという出来事の前にあるイエス・キリストの十字架という苦しみ(受難)こそ、もっともっと私たちが思い巡らすべき出来事なのですが、それができません。それゆえ、毎年迎えるイースターもそれほどの深さが感じられません。ましてやペンテコステの祝祭日はつけたしの感がなきにしもあらず、です。ペンテコステこそ、へりくだられた神が私たちのうちに内在して働いてくださる出来事です。聖霊の導きと助けがなければ、キリスト者は神のみこころにそって生きることは不可能です。ですから、イースターで終ってしまうのではなく、初代教会の120人の弟子たちが祈っていたように、なおのこと、聖霊を待ち望む祈りの時、瞑想の時を再び取り戻す必要があります。そうした取り組みがなされるならば、三大祝祭日は神の豊かにいのちが流れ出す日となるにちがいありません。

◆三大祝祭日の祝福を正しく受け取るためには、「身を低くして」「身をかがめて」来られた神をじっくりと思い巡らすとき、新たに思う瞑想のときが必要です。しかしこれは個人としてすればよいことでなく、教会全体の取り組みとしてなされることが重要です。そうでなければ、神のいのちは枯渇することは必然です。牧師たちが忙しく新しい年度の準備に追われている現状を打ち破る力が必要です。それこそイースターの恵みであるはずです。

◆今や、日本のキリスト教会はもう一度、教会歴における三つの祝祭日の前におかれている期間を大切し、多くの時間を静かな瞑想によって過ごし、そこから大切な神のいのちを新たに自覚的に掘り起こさなくてはならないと思います。現代において、忙しさは霊性の回復の大敵です。霊性を回復し、教会が神のいのちに満たされるためには、主の前にじっくりと静まる時を回復することからはじめなければならないことを思わせられました。

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