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詩115篇/B

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瞑想Ps115/B

◆「栄光在主」という慣用句があります。私もしばしば手紙の最初にこのことばを用います。このことばのルーツは、詩篇115篇の1節「私たちにではなく、主よ、私たちにではなく、あなたの恵みとまことのために、栄光を、ただあなたの御名にのみ帰してください。」から来ているのではないかと想像します。

◆まさに、「栄光在主」と言えることが人間の本分であり、神と私たちの正しい関係を表すものだと信じます。そして最も簡潔な信仰告白であり、神への賛美です。 「天にいますわれらの父よ」と呼びかける主の祈りも、「御名をあがめさせたまえ」とあります。これは決してたやすい祈りではありません。罪ある人間にはとてもできない祈りです。というのは、神の恵みと真実に気づかされた者だけが言えることばだからです。

◆詩篇の作者は、偶像の神と比較する形で、真実な神を告白しようとしています。神はイスラエルの民に「あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。それらを拝んではならない」と戒められました。偶像とは「自分のために」造られたものであることが分かります。偶像は自分の欲望を無限に肯定してくれる偽りの神です。口があっても語らず、目があっても見えず、耳があっても聞かず、鼻があっても嗅げず、手があっても感じず、足があっても歩くことができません。そのような神に頼るなら失望の運命にあります。「主の御名こそ栄え輝きますように」

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