****** 教会は、ヘブル的ルーツとつぎ合わされることで回復し、完成します。******

詩116篇/B

Ⅴ/A(107~150篇) | テキストPs116 | 原典テキストPs116 | 瞑想Ps116/A | 礼拝用語Ps116 | 恩寵用語Ps116? |

瞑想Ps116/B

◆詩篇116篇には「私は主を愛する」というその理由が綴られています。その第一の理由は、「主が私の声、私の願いを聞いてくださったから」です。第二の理由は、「私が主の御名を呼び求めたとき、主を助け出して下さったから」です。そして第三の理由は、「主は私にことごとく良くして下さったから」です。かつて、失意の中で沈んでいた時には、自暴自棄になり、周りの人々は単なる気休めを言っているだけと思い悩んでいたのです。しかし今では、良くしてくだった神にどう報いたらよいか迷うほどの気づきが与えられたのです。

◆この詩116篇の中でひとつ目につく聖句があります。それは15節「主の聖徒たちの死は主の目に尊い」というフレーズです。これはどういうことなのか。いろいろな訳を調べてみました。新共同訳では「主の慈しみに生きる人の死は、主の目には価高い」。関根訳では「ヤーウェは彼の聖徒の死を価高きものとされる」。LB訳では「神様に愛されているかけがえのない人々が、そう簡単にいのちを落とすことなど、許されるものではない」そして、ナイト(尾崎訳)では「敬虔なる者たちの死はヤーウェにとっては高くつく」・・ と。

◆これらの訳を総合してみると、神を愛し、神を信頼しようとする者を神はそうやすやすと死なせない。その死には大きな価値と意味があるようにされるという意味合いがあるように思います。

powered by Quick Homepage Maker 5.2
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional