****** キリスト教会は、ヘブル的ルーツとつぎ合わされることで回復し、完成します。******

詩127篇/B

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瞑想Ps127/B

  • 126篇1節では「シオンが回復されました」が、4節では「神の民の回復」が祈り求められているのです。シオンは回復して元に戻りましたが、捕囚となった民はいまだ「元に戻って」いないことで、それが祈り求められていました。その流れが、詩篇127篇にも流れていると考えることができます。つまり、神の民の回復はだれによって実現されるのかということです。
  • 1節の「もし・・でないならば」という仮定法は、「主がこうしてくださるならば、必ずこうなる」という確信につながります。つまり、「主ご自身が建ててくださるならば、家を建てる者の働きは決して無駄にはならない。」、「主ご自身が守ってくださるならば、守る者の見張りは決して無駄にはならない。」、「主ご自身が備えてくださるならば、生活に必要な働きも決して無駄にはならない。」と言えます。
  • 歴史には二つの系譜があります。一つは神が立てる系譜です。それは神によってていられて行くので、堅く建てられて、決してゆらぐことはありません。しかしもう一つの系譜は、人の力によって立てられる系譜で、アダムの子カインの流れです。彼は自分の力で都市を建設し、文明を築いて行きます(創世記4:17)。しかしそれはやがて脆くも崩れて去る運命にあります。
  • 「建てる」と訳されたバーナーבָּנָה(banah)は、旧約で376回、詩篇では12回使用されています。「建てる、再建する、回復する、建て直す、(城壁を)築く」という意味です。聖書の最初の出典は創世記2:22で、「神である主は、人から取ったあばら骨をひとりの女に造り上げ、その女を人のところに連れて来られた。」とあります。しかもアダムが眠っている間にこのことが成されました。人アダムにとってなりよりもかけがえのない存在であるエバによって、アダムは人として建て上げられることになったのです。
  • またこのバーナーבָּנָהは「祭壇を築く」という礼拝用語でもあります。ノアも信仰の父アブラハムも「祭壇を築いた」人でした。「祭壇を築く」とは、神を神として、神によって再建されるために自分のすべてを差し出すという行為です。神の民であったイスラエルは、祭壇を築くことをやめたことで、自分たちの拠り所であったエルサレムを失いました。しかし、神はそれを再び回復させました。
  • 詩篇におけるバーナーבָּנָהは、おもに、神がシオン、エルサレムを堅く建てるという意味で使われています(51:18/69:35/78:69/102:16/122:3)。ダビデの王座も神によって堅く建てられます(89:4)。118:22では「家を建てる者たちの捨てた石。それが礎の意志となった。」とあります。建物や王座だけでなく、神の民を回復し、再建するのも神の独占的主権的働きです。神の民の再建は、神ご自身によってなされていきます。私たちはその協力者でしかありません。
  • 使徒パウロは、教会内に分裂をもたらした者たちに対してこう述べています。「私が植えて、アポロが水を注ぎました。しかし、成長させたのは神です。大切なのは、植える者でも水を注ぐ者でもありません。成長させてくださる神なのです。私たちは神の協力者なのです。」(コリント第一、3:6~9)

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