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詩13篇/B

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瞑想Ps13/B

◆1節の「いつまでですか」という問いは嘆きの詩篇の重要な要素ですが、この詩篇では3節の嘆願のことばに注目したいと思います。「主よ。私の目を輝かせてください。」(新改訳) 新共同訳では「わたしの目に光を与えて下さい」と訳されています。この二つの訳を合わせて読むと「私の目に光を与えて、信仰の目を輝かせてください。」となり、わかりやすくなります。

◆イエスは嘆願する盲人に尋ねました。「わたしに何をしてほしいのか」と。すると盲人は言います。「目が開かれることです」と。これは真理に対する開眼の求めでもあります。イエスは「からだのあかりは目です。それでもしあなたの目が健全なら、あなたは全身が明るいが、もし目が悪ければ、あなたの全身が暗いでしょう。」(マタイ6:22)と言われました。目が輝くこと、目が健全であること、目が澄んでいるとは、見るべき方をしっかりと信仰によって見ていることを意味します。見るべき方がどのような方かを知り、信頼するところに目の輝きがあると信じます。

◆私たちはしばしば神や神のみこころが見えなくなることがあります。そして神の不在を感じ、神が遠くにおられるように感じられるのです。しかし神は決して不在ではなく、私たちの目が見えていないだけのことであることが多いのだと思います。目が開かれることによって、「主が私を豊かにあしらわれた」ことがわかるようになります。ちなみに、「主が豊かにあしらわれた」とは、You have good to meであり、神は私に良くして下さったという意味です。ある訳では、「成熟させられること、完全に乳離れすること」とあります。そんな恵みの中に生きたいものです。

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